第5章 われも人もやすからぬ乱れ出で来るやうもあらむよりは
陽露華は紅子の強烈な平手打ちを左頬に受けた。
紅子の顔は怒りで真っ赤になり、口を震わせ涙目になっていた。
「使用人に……銀の居場所を聞いて来てみれば、お前の様な卑しい人間が、馴れ馴れしく……! 私を愚弄するのがそんなに愉しいか!!」
陽露華は何も答えず、黙って膝をついて、裏返しになった漆塗りの皿、散らばった漬物、割れたとっくり等を拾い集める。
「何か言ったらどうだっ!!」
紅子の蹴りが陽露華の顎に入って転ばされる。頬の裏を切ったらしく、口内が鉄の味に染まる。
陽露華が顔を上げると、毛布とジャケットを片手に持った銀邇が、紅子に刃を向けていた。
紅子の顔はみるみる青白く変わる。
「3度目は無いと、言ったはずだ」
「ひっ!」
銀邇の声に紅子は震え上がり、陽露華も背筋が冷えた。
銀邇の刃先が紅子の喉元に当てられ、赤い液体が滲み出る。
「っ! 銀邇さ——」
「はあーい! そこまでー!」
止めようと膝を立てた陽露華より先に、公任が場にそぐわない気の抜けた声で仲裁に入る。
「ダメでしょ、銀ちゃん。女性に刃を向けるなんて、武士の風上にも置けないよ」
銀邇は刀の血を振り払うと、自身の着物の裾で拭って鞘に戻した。
「紅子様、どんなに嫉妬していたとしても、手を出してしまえば醜い者と同等なのです。麗しい淑女なら、耐え忍ぶ広い心こそ素敵な簪となりうると思いませんか?」
公任は紅子の乱れた髪を直し、簪を挿し直す。
紅子は公任の手を叩くと、踵を返して館へ戻っていった。
公任は肩を竦めると、陽露華の前に膝をついて、紅子が散らかした物を拾う。
「あ、私が……」
「だーめ。陽露華ちゃんの手が傷ついたら大変」
陽露華は礼を言って、口元に手拭いを当てた。
銀邇に手を借りて陽露華は立ち上がり、公任は盆に集めた物を乗せて立つ。次いで、銀邇からジャケットを返してもらう。
「俺がここに来たのは、銀ちゃんを止めるわけでもなければ、紅子様のご機嫌取りに来たわけでもない。陽露華ちゃん、君に頼みたいことがある」
陽露華を見て、公任は言った。
「ここに集まっている人だけでいい。家系図が見たい」