第5章 われも人もやすからぬ乱れ出で来るやうもあらむよりは
「ん……」
銀邇は頬を撫でる冷たい風に起こされた。
空は薄暗く、目を凝らせば星が見える。
仮眠のつもりが随分寝てしまった。
銀邇は自分に掛けられた毛布に気付いた。次いで、少女が自分の肩を借りて寝ている事にも。
彼女に掛けられている黒い上着には見覚えがなかったが、この館にいる男が着ていたものによく似ている。
(『じゃけっと』と言ったか?)
銀邇は自分の知識不足を感じた。
彼女は何故か、銀邇に掛かった毛布越しに彼の着物を掴んで離さない。
銀邇は動こうにも動けず、少女が目覚めるのを待つ。
噴水の水が跳ねる音を意味もなく聞いていると、肩で小さな唸り声がした。
銀邇が顔を下ろすと、
「おとう、さま……どこ……ですか……」
彼女の1粒の涙が毛布を濡らした。細い手が毛布と銀邇の着物を強く握る。
「あおい……いかない、で……」
彼女はまた涙を流した。握り締めた細い手が震える。
「もう、だれも……わたしを……ひろと……呼んでくれない……味方は……いない……」
その言葉に銀邇は体を震わせ、気付いた時には、彼女をジャケットと毛布とまとめて抱き込んでいた。
「銀邇さん……?」
驚いた彼女の声が耳にかかる。刀が地に落ちた。
銀邇は謝っていた。同じ言葉を繰り返して。
自分がいかに矮小で粘着質な人間か。既にいない人を他人に重ね、何も知らぬ少女を巻き込んでいた。
自分にも願いがあり、彼女にも願いはある。
しかしながら、その願いは目の前の小さな少女よりも子供じみた、現実味のない願い。
陽露華は突然の事に頭が回らなかったが、銀邇がひどく幼い少年のように思えてしまって、震える背中に手を回した。
その直後だった。
ガチャンッ
落下音と食器の割れる音。
驚いた陽露華は銀邇を押し飛ばす。
仰け反った銀邇は一瞬目を丸くしたが、すぐに平生に戻り音のした方を見る。
陽露華は音を立てた人物を見て、全身の血の気が引いた。
噴水の向こう側に、夕方よりも動きやすい格好に羽織りを着た紅子が、この世の終わりのような顔で立っていた。
「…べに、こ……さま……」
陽露華は呟いてから気付いた。すぐに立ち上がって、噴水を回り込んで紅子に駆け寄る。
「お怪我はあり——」
パシンッ