第4章 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほいける
陽露華に緊張が走る。
百合子は閉じていた目をゆっくりと開けて、梅花と陽露華を見た。
梅花は恭しくお辞儀をする。
「百合子様。陽露華様をお連れ致しました」
「ご苦労様。下がってなさい」
耳に溶け込むような、静かな声。そこには温かさも冷たさもなく、森羅万象を平等に見る凛々しさがあった。
梅花は温室の入り口まで下がる。
百合子はゆったりと立ち上がり、その場にそぐわない古い杖をついて、陽露華に歩み寄る。
陽露華は筋肉が硬って動けない。言いようのない緊張感に、冷や汗が垂れる。
百合子は陽露華の顔に手を伸ばし、優しく撫でた。
「大きくなったねぇ……」
懐かしむその声に、陽露華の頬に一筋の滴が流れる。
「お婆様はお変わりないようで……」
陽露華の次から次へと溢れ出る涙で百合子の手を濡らす。
この家の中で、陽露華の味方であり続けた人。
それが百合子。
陽露華の母・綺緋と父・道治(みちはる)の結婚は政略結婚で、当事者は互いに望んでいなかった。
道治はとても良い人で、急に得た権力にあぐらをかくこともしなかった。唯一の欠点と言えば、臆病な性格。
綺緋の独裁的性格と反りが合わず、道治は悪質ないじめの対象になった。
綺緋が道治の無いこと無いことを吹聴し、綺緋の兄弟姉妹その家族らが道治を悪者として扱った。
結婚したからには子を授からねばならない。しかし彼らの子作りの苦労は想像に難く無いだろう。
陽露華が綺緋と道治の最初で最後の子供である。
綺緋は道治と同様、陽露華にも不当な扱いをする。
見かねた百合子は、まだ当時15で見習いだった梅花を陽露華の世話係に採用し、綺緋から遠ざけようとするがうまくいかない。
百合子は陽露華を護ろうと策を練るものの、彼女だけを特別扱いしてしまうと家族の仲が悪くなる可能性もある。
直接的なことは出来なくとも、陽露華の心の拠り所になれるよう努力した。梅花も陽露華から1日たりとも離れなかった。若さ故の純粋な努力である。
いじめを止める術もなく時は過ぎた。
そして、陽露華が5歳の時、道治が百合子の元に直談判に来た。