第1章 思ひせく胸のほむらはつれなくて涙をわかすものにざりける
「ひろ、ちょっと頼まれてくれんか?」
陽露華が庭に物干し竿をかけていたら、父から声が掛かった。
「はい、何でしょう」
陽露華は縁側に立つ父の元へ駆け寄ると、父はお使いを頼んだ。
内容は、行きつけの八百屋と魚屋での買い物と、呉服屋で布の切れ端をもらってくる事だった。
陽露華は承諾した。
洗濯物を全て干し終わった後、旅籠を出立する。
陽露華が玄関を出ると、すぐ向かいの茶屋で傘を出していた葵と目が合った。
「おはよーさん!」
「おはよう」
ぱたぱたと葵が駆け寄ってくると、紙袋を突き出してきた。
陽露華がぽかんとしていると、葵は声を潜めてこう言う。
「すまんが、ちと、頼まれてくれんか?」
「何用で?」
「お使いじゃ」
陽露華は話は聞いてやろうと思い、先を促すと、葵は今度は眉を潜めた。
「川向こうの柳田さん……ほら、神社の隣の……あの人んとこにこれを届けて欲しいんよ」
「何故私が?」
「あの人、苦手やねん」
葵には基本的に苦手な人物はいなかった。しかしながらこの様子、相当嫌なようだ。
葵が苦手な人物は、陽露華はもっと苦手だ。
正直に申せば、断りたかった。
八百屋も魚屋も川を渡らなくともある。呉服屋に関しては、旅籠から3軒隣だ。
(お使いの距離が伸びる……)
甚だ面倒臭い。
しかし、ここで断れないのは陽露華の性分である。はたまた、父の教育の賜物か……。
「請負いましょう」
「ありがたい! 今度大福オマケしたる!」
「羊羹がいいな」
「ほんじゃあそっちで!」
陽露華は紙袋を受け取って、葵と別れた。
葵は暖簾を上げながら、陽露華を見えなくなるまで見ていた。