第3章 しぼめる花の色なくて匂い残れるがごとし
銀邇が薬を塗っている間は無言だった。
陽露華も饒舌な方でもなければ、特に話したい事も無いので黙っていた。
何事も無く静かに、その時間は終わる。
陽露華が礼を言うと、銀邇は短く返しただけだった。
浴衣を直している間に、銀邇は部屋に帰って行った。
翌日。
公任は日の出と同時に宿を出て行った。
陽露華が起きて窓から外を見た時、その姿を目撃した。
陽露華は着替えると、昨晩の寝る直前にその存在に気付いた姿見を見ながら、今度は自分で薬を塗ってみる。
意外な事に、すんなり出来てしまった。
銀邇には申し訳ない事をしたと、陽露華は反省しながら部屋を出ると、銀邇も部屋から出てきた。
「あ、おはようございます」
「おう」
挨拶のみを交わして、宿の食堂で朝餉を戴く。食事中の会話は無かった。
朝餉を食べ終え、それぞれの部屋に戻った後、しばらくして銀邇が陽露華の元を訪れた。
「出るから準備しろ」
陽露華は言われるがままに銀邇と町に出た。
銀邇は迷いのない足取りで、陽露華の歩く速度に合わせて歩いている。
陽露華は「ついてこい」と言われていなかったが、「ついて来るな」とも言われていなかった。しかし、銀邇は時々振り返って陽露華を気にする素振りを見せていたので、ついて行った方がいいと判断した。
銀邇が連れてきた(?)のは古本屋だった。
昨日は公任と色々店を巡ったが、今日は銀邇と古本屋だ。
銀邇はどんどん奥に進んでいく。陽露華は置いて行かれないようについて行く。
湿った木の匂いと、カビ臭さが癖になりそうな、老舗の古本屋である。
銀邇は周囲の棚に並ぶ本には目もくれず、奥へと突き進む。
陽露華は棚に並ぶ本の種類が急に官能的な本に変わって、それに怯えながら銀邇の背中を追う。
銀邇がやっと足を止めたのは、古い木の扉の前だった。
取手には『関係者以外立入禁止』と書かれた板が吊るされている、にも関わらず、銀邇は扉を押し開けた。
驚き慌てる陽露華が見た扉の先には、2畳ほどの部屋。銀邇の腰の高さ程度の低い箪笥が壁際に陣取っている。
窓も排気口も無い部屋だが、表の店よりも綺麗に掃除されて、埃もたいして舞っていない。
箪笥も埃が積もっていない。