第7章 愛の謂れ
「どうしたの?」
「···いいや」
星乃が見せる落莫とした微笑みは、実弥の心に眠り続ける僅かな不安を羽化させる。
家族や匡近のように、星乃もまた二度と届かぬ場所へ行ってしまうのではないか。
実弥は、ふとそんな思いに駆られた。
実弥が育った環境は、決して裕福ではなかった。
父は放蕩者で荒くれていたし、母の稼ぎだけではとうてい足りず、満足に食うことさえままならない日もあった。
自分は長男だ。
年の離れた弟妹は皆幼く目が離せなかったが、愛しさもひとしおだった。父が頼りにならないぶん、自分が親代わりになれるようにと振る舞った。腹が減ったと泣けば食べ物を分け与えたし、病気で寝込めば一晩中でも付き添った。
要するに、実弥は甘えかたがわからなかった。
世話ばかり焼いてきた。それを苦だと思うことは特になかった。下に弟妹が増えるほど母はそちらに付ききりだったが、当然のことであると疑問を抱くこともなかった。
母に甘えられる時間が少ないことを寂しく思った時期もあったのかもしれない。覚えていない。記憶から廃れてしまうほど、弟妹たちのことを思えば大した問題ではなかったのだ。
実弥には、家族と笑い合える時間こそがなによりもの心の拠り所だったから。
星乃の双眸に、暮れなずむ空が反射している。
ああ、美美しいもんだなぁ···と思う。
こんな風に、誰かを美しいと思ったことはない。
「さね、み」
「───…悪ィ。ちと、しばらく、こうさせてくれねぇか」
実弥は星乃を抱き寄せた。
後頭部に片手を添えると、星乃の暖かな吐息が肩下にかかる。
両腕で強く抱き締めることはできなかった。そんなことをしたら、二度と離してやることはできなくなるだろうと思った。
「なんで、鬼殺隊なんかに来ちまったかなァ···アイツは···」
すう···と、実弥の肩が落ちてゆく。
うん、とだけ、星乃も答える。
「今じゃ、たった一人の弟なんだぜェ···。アイツには、死んだ弟たちのぶんまで人並みに長生きしてもらいてェのによ」