第7章 愛の謂れ
「髪、どうしたの?」
手水 (ちょうず) から戻った星乃が不思議そうに首を傾げる。
問われたところで理由など口にできるはずもない。
ぶっきらぼうに「···どうもしねェよォ」と答えると、実弥は丸い漆器に盛られた厚焼き煎餅へと指を伸ばした。
甘いものを食べていたらしょっぱいものが食べたくなったわと言う蜜璃が先ほど持ってきたばかりのものだ。
煎餅とくれば緑茶が欲しいところではある。まあそう長居するつもりもないので贅沢は言わない。
蜜璃の屋敷に来てからというもの、実弥はどうにも居心地が悪かった。おそらく見慣れない西洋家具がそこかしこにあるからだ。
この脚の長いテーブルと椅子もやけに気分が落ち着かない。早く自分の屋敷に戻って畳の上で抹茶を飲みてぇなぁと思う。
星乃はこの屋敷の仕様にすっかり興味津々で、あの照明はどこで買ったのだのベッドの寝心地はどうなのかだの、外国式のものに心奪われているようだった。女は変わり身が早いのである。
実弥といえば、"流行"という軟派なものを毛嫌いする生粋の頑固者。他人の趣味にとやかく口を挟むつもりもないが、急速に様変わりしていく街並みの西洋かぶれには近頃少々うんざりしていた。
「あのね、今、不死川さんと恋のお話をしていたの」
「実弥が恋······!?」
「甘露寺が好き勝手にぺらぺら駄弁ってただけだろうがァ」
「なあになあに、蜜璃ちゃん、もしかして好きな殿方がいるの?」
「キャッ、聞いてくれる星乃ちゃん」
「俺は帰るぜェ。桜餅も渡せたしなァ」
「待って、不死川さんにも聞いてほしいの!」
「あァ? どのみちくだらねェ話だろうがァ。聞いてられっかよォ。てめぇら二人で好きにしたらいいじゃねぇか」
「く、くだらない···!?」
「──実弥」
残り一口の紅茶を飲み干し立ち上がった実弥の羽織を、星乃がくい、と引っ張った。
蜜璃ちゃんは実弥にも聞いてほしいと言ってるの。迷惑をかけたのだから、ここはせめて真摯に耳を傾けるのが礼儀でしょう?
眼差しがそう言っている。
ググ、と顔をひきつらせ、胸の内で舌打ちを一発鳴らすと、どすん。実弥は仕方なしに慣れない椅子へと腰を戻した。