第6章 甘い蜜にはご注意あれ
──しまった。
はっとして、咄嗟に蜜璃は掌を口もとへ当てがった。が、遅かった。途端、実弥の眉頭がぴくりと歪んだ。
ァァア"ア"ア"···?
まるで地の底から物の怪が這い上がってくるような。そんな声が実弥の口から発せられる。
「前田、だとォ···?」
ギシ、ギシと、床下の軋む音がした。かと思えば硝子窓が今にも砕けそうにガタガタガタと振動し出す。
ゴゴ、と響き始めた地鳴りのようなそれはみるみるうちに禍々 (まがまが) しいものに変化してゆき、とうとう蜜璃の背の中心に戦慄を走らせた。
「あああ、そうだわ、桜餅のお礼に今度なにかお返ししたいわ」「不死川さんの好きな食べ物はなんですか?」「それにしても今日はとても良いお天気で」など、蜜璃は早急に実弥の気を紛らわそうといつになく饒舌をふるってみせる。
ところが禍々しさは一向に収まる気配がなく、それどころか実弥は最も触れてはいけない"あるもの"に気づいてしまうのだった。
そう。実弥の脚もとに並んだ、星乃の履き物である。
「ひとつばかり聞くが」
「···はい。なんでしょうか (小声)」
「ここにィ、星乃はいるかァァ」
「···いえあの、不死川さん (とても小声)」
「正直に答えんならァ、今回はテメェは見逃してやるよォ」
て、て、『テメェは見逃す』ですって···!?
ひどい、濡れ衣もいいところだわ! ううんちがうわね、とばっちりっていうのかしらこういうの···!
驚愕のあまりあんぐりと口を開いた蜜璃の顎はいささかはずれかけていた。
自分だって被害者のようなものなのに···!
そう喉まで出かけた言葉をぐっと飲み込む。今の実弥に逆らうことより恐ろしいものはないと思うと蜜璃は押し黙るしかない。
「いいかァ···もういっぺんだけ聞くからなァ。ここにィ、星乃はいやがんのかァァ?」
ああ···万事休すだわ···。星乃ちゃんごめんなさい。
私、不死川さんに怒られちゃうのは得意だけれど、不死川さんの怒りを鎮めることは無理みたい。
両手を合わせ握りしめた蜜璃の口からブクブクと泡が吹き出す。
もう宙を仰いで祈ることしかできない。
神様仏様、どうかご慈悲を。
あーめん。