第26章 番外編 ② 或る風の息吹の
ある日稽古が一段落ついたところで、線が細く儚げな女が向かいの縁側からこちらを見ていた。
目が合い、微笑みかけられる。その後すぐ、咳き込むような仕草をみせて、女は障子戸の向こうへと引っ込んだ。
星乃と容姿は似ているが、いくらかやつれた風の華奢な体躯は遠目から見ても病弱な体質であることがうかがえる。
妹の文乃だった。
文乃は時折自室から出てきては、ガラス戸に囲まれた広縁から実弥の修行を静かにじっと眺めている。ほんの束の間眺めていなくなる時もあれば、淑やかに正座ししばし見続けている日もある。
実弥を見つめる文乃の表情はいつもとても穏やかで、柔い微笑みは姉の星乃とよく似ていた。
話をしたことはない。
文乃が自室から出てくることは極めて稀で、実弥もまた生活の拠点は屋敷の離れにある道場であったことから、同じ敷地内に暮らしていても二人の距離感はだいぶん遠いものだった。
その晩、夕餉を迎えに厨(くりや)まで足を運ぶと、食事を並べた箱膳の隅に一枚の紙切れが添えられていた。
その場ですぐに紙切れを開く。そして実弥は目を丸くした。
『たびたびいちごの苗を気にかけてくださる不死川様のお心遣いに深く感謝いたします』
達筆な文字。これはキヨ乃が書いたのだろうか。···いや、これだけの短い言葉なら、わざわざ紙にしたため箱膳に添えておくなど回りくどいことをする必要はない。キヨ乃であれば直接声をかけるだろう言葉だ。
「婆さん」
黙々と竈の作業をするキヨ乃の背に呼びかける。実弥に対するキヨ乃の距離感はいつも程よい。
振り向いたキヨ乃は紙切れを手にした実弥を見て「おや」と言った。直後優しい顔で目を細め、
「実弥ちゃん、星乃ちゃんが露地庭へ植えた果実の苗を綺麗に植え替えてくだすったんですってねえ」
再び作業する手を動かしながら続ける。
「···いや、」
「星乃ちゃんは炊事や畑作業の類があんまり得意でなくてね、なにぶん私も移入種の園芸には疎いもんですからどう扱って良いものか見当もつかなくて······けれど実弥ちゃんが世話を焼いてくれるおかげですくすくと育った葉っぱも良いお色をつけていると、文乃ちゃんが」