第26章 番外編 ② 或る風の息吹の
後頭部に痛みが走り、脳内が束の間白く染まった。気づけばさきほどまで見下ろしていたはずの鬼がいなくなっている。
身体が重い。
土埃の隙間から見え隠れする赤黒い月。田畑の草の匂いに混じり、獣のようなひどい異臭が鼻をつく。あまりの臭気に眉間を歪め、それからわずかもしないうち、実弥はつぶさに己の置かれた状況を理解した。
景色が、反転したことを。
「稀、ち"···ッ、まれ"じィ"···ッ」
「ッ"···クソ、がッ」
組み敷かれていた。
実弥の頬を、ボタボタと多量の唾液が滑り落ちてゆく。
飢えたように喉を鳴らす鬼の姿は獲物を狙う肉食のそれと同じだ。呼吸を荒げ、もはや会話もままならぬほどに正気を失くした猛獣。
桁外れに強い力ははね除けようにもびくともしない。
しかし、なぜ突然目が覚めたかのように酩酊が解けたのか。実弥の腕はまだ出血している。ならば血の効力が消えたとは考えにくい。
そんな疑問を抱いた直後、赤く染まった鬼の歯牙が実弥の双眸に飛び込んできた。
( 血、かァ···? )
鉄鎖で捕らえようと近づいた折、気づかぬうちに実弥の血が鬼の口内に滴り落ちていたのだ。
( ···どうりで )
以前、『稀血は百人分の餌』だと別の鬼が言っていたのを思い出す。
鬼を弱らせるものだとばかり思っていた己の血は、一方で少量与えてしまうだけでも鬼の栄養となるらしい。
「ガ···ァ"ア"!!」
「ぐ、──ッ"、!!」
鬼はとうとう鋭い歯牙で実弥の前腕に噛みついた。
( 畜、生···ッ" )
このままでは食いちぎられる。
さすがに今回ばかりはやべェか···ッ。そんな覚悟をも抱いた矢先、
ヒュォ···。
さざ波のように押し寄せたぬるい風が辺り一帯に吹き抜けた。
次の瞬間。
" 風の呼吸 漆ノ型 "
『 勁 風・天 狗 風 』
上空を、竜巻のような風が目にも止まらぬ速さで数多に交差しながら渦巻いたのを見た。