第25章 番外編 ①:*・゚* 或る風のしらべ *・゚・。*:
数ヵ月後、星乃の懐妊が発覚した。
胎動を感じるようになり、実弥も毎日我が子に向かって一言二言呼びかけた。
腹の輪郭を実弥が撫でると、呼応するような優しい反応を返してくれる。
スミレも日に日に言葉を覚え、おぼつかない足取りでところかまわず歩み寄っていく愛盛りに一層と目が離せなってゆく。
いよいよ産気付いた星乃のためにお産の準備が施され、産婆を部屋に迎え入れると星乃の表情にも安堵の色が浮かんで見えた。
スミレのお産にも従事した産婆は【琴】といい、齢七十を迎えても立ち居振舞いの優雅で聡明な女性だった。
神のような手捌きで赤子を取り上げ、もののわずかもしないうちに出血のひとつも残さず部屋を整え去ってゆく。それが、琴という産婆である。
男はお産に立ち会うものではないと追い出される家も多くあったが、琴は『お好きになさいな』と実弥を払い除けることはしなかった。
スミレのお産時同様に、実弥は星乃の傍らに付き添い後産の処理と沐浴の介助を任された。
今回のお産は思いのほか時間を要した。難産と呼ぶにも近いものだった。
なかなか降りてこない赤子を不安に思いはじめた星乃にも、しかし琴は露ほど狼狽することもなく、『ずいぶんと恥ずかしがりやさんな子なんねえ』と声をかけながら見事赤子を取り上げた。
星乃は疲弊しきっていたものの大事に至らず、赤子は元気に呱呱の声をあげ喜びに包まれた。
健やかな坊やですよと言った琴の声が、赤子の泣き声の狭間に光を灯した。
沐浴を終え赤子を抱いて戻ってきた実弥は、心なしかぼんやりしていた。
床に伏す星乃の傍らにゆっくりと赤子を添わせる。
星乃は愛おしそうに我が子を見つめ、ほろりと一粒の涙を流した。
「······産まれてきてくれて、ありがとう」