第23章 きみに、幸あれ
霞んでは現れを繰り返す実弥の頬にも、一筋の涙が伝っていることを知った。
「ッ馬、鹿野郎がァ···っ、ンなもんはなァ、俺のほうが頭下げて拝み倒さなけりゃあならねぇことだろうがよォ······っ」
「···ふふ、実弥、泣かないで」
「あァ"? 事あるごとにメソメソと泣きべそかきやがるのはどっちだァ」
「不思議ね。あなたがこの世に生まれてきてくれたこと、こうして生きてくれていることを思うだけで、嬉しくて涙が止まらないの」
繋いだ手を濡らす涙の粒は、もうどちらのものかわからない。
互いのぬくもりと、窓から降り注ぐあたたかな陽光が、癒えない悲嘆と寂寞をほんの少しだけ和らげてくれる気がした。
星乃の名を呼ぶ無邪気なサキの姿が何度も浮かんでは消えてゆく。
決戦後、星乃は隠と共に事後の処理に励み、そこでサキの失くした身体の一部を見つけ棺に納めた。
母親からの返事を待たずに逝ってしまったサキ。永眠の報せも生家へ投函されているはずだが音沙汰はない。鬼殺隊は解散することが決定したため、それ以降は星乃のもとへ連絡がほしい旨を鴉の皇子に伝達してもらうつもりでいる。
寝具の上に横たわる、紫色の袖なし羽織。
意識を取り戻してからの実弥は、空を見上げることが増えた。言葉には出さずとも、玄弥を想っているのだろう。
甘味作りの工程を綴った手記が、袖なし羽織に寄り添っている。甘露寺邸の遺品を整理し終えた蜜璃の家族からぜひにと貰い受けたものだ。
どんなときでもおおらかにわらう彼女の笑顔が大好きだった。ジャム作りの約束が果たされることはなくなってしまったけれど、お腹の子が成長したら、頑張って蜜璃の甘味を作ってあげようと決めている。
ふとした瞬間、今でもしのぶが扉を開けて、「お加減はいかがでしょうか?」と微笑みを覗かせてくれそうな気がする。
彼女との思い出がそこかしこに散らばっている蝶屋敷では、しのぶの面影を探さずにはいられない。
当たり前にあったはずの日常を失くした心痛と侘しさは、今宵もまた人知れず、各々の心を押し潰しにやってくるのだ。
そうであっても私たちは生きてゆく。
己の生をまっとうし、灯火が消えゆく最期の日まで───。