第23章 きみに、幸あれ
万年筆だ。
匡近が死んだ年、星乃の誕辰に実弥から贈ったはじめての物。それ以来、星乃の胸の衣嚢にはこの万年筆が光っていた。
間違いない。これは、俺が星乃に贈ったものだ。
「ふ~ん? 実弥もそんなことするようになったんだなあ」
「ッ"、アァ"!?」
匡近はにやにやしながらますますいたずらっぽい笑顔を作り実弥をおちょくる。
兄弟子のその意味ありげな振る舞いに、実弥は眉を吊り上げ耳殻をカッと赤くした。
「ッ"、だいたいなァ···っ、テメェが先に逝っちまいやがるから、星乃が」
「わかってるわかってる。実弥も星乃のことが大好きだもんな」
「うるせェ! 話を逸らすんじゃねェ!!」
勢いあまって立ち上がる。ところが踏み出そうとしたとたん、実弥の脚もとに複数の蝶々がまといついてきた。踏みつけてしまいそうで、前に進むことを躊躇う。
ググ···ッとこらえ、実弥は一呼吸おき口を開いた。
「···星乃のことは、心底、申し訳ねぇと思ってる」
「うん?」
「お前の許嫁だった女だ。そいつを、···好いちまったこと」
「知ってたよ」
匡近は、終止穏やかな顔をしていた。
許嫁だった女が弟弟子と···など、気の済むまで殴られても文句は言えないようなことだとずっと心に留めていたのに、匡近からは負の感情が雫も滲みでていない。
「実弥が星乃を特別に慕っていたこと、俺、本当は知ってたんだ。知ってたけど、黙ってた。知らないふりをしてた。星乃は、実弥の気持ちに気づかないでくれと思ってた。星乃を、自分だけのものにしておきたかったから」
匡近は、生前の自分を懐かしむような、どこか罪悪感を拭い切れないとでもいうような眼差しを残し微笑んだ。
打ち明けられた匡近の想いをはじめて知り、星乃への想いを悟られていたという事実よりも、匡近が密かに抱えていた胸の内に実弥は言葉を詰まらせていた。
好いた女を独り占めしたくなる。
実弥にも覚えのある恋慕の情だ。
「だから、それでおあいこだ」
一転し、にかっと笑ってみせる匡近。