第20章 ふりふられ
「···あ、もしかして、冨岡さんも鮭を買いに? そういえばお大根も持っていらっしゃるし、鮭大根ですか?」
「そのつもりだったが、思い返せば三日前にもそれを食ったばかりなので鰤にしようか迷っていた」
「ぶり大根も美味しいですよね。ちょうど今が旬ですし。けれど鮭が捨てがたいのもわかります」
「悪いねぇお兄さん! 鮭の切り身は今ので最後になっちまったんだよ!」
「······」
「あ、あら···」
近くにいた店主が義勇に向かって申し訳なさそうに苦笑する。
しん···と沈黙。
義勇は無表情で鮮魚屋の奥まった場所を眺めていた。そのうえ無言で棒立ちしている義勇に対し、彼のそれはいったいどういう感情を抱いている顔なのだろうと星乃は困惑した。
悲しんでいるように見えないこともないし、愕然としているように見えないこともない。
「あ、あの冨岡さん、もしよろしければ、この鮭差し上げましょうか」
「いや、さすがにそういうわけにはいかない」
「けれど、あんなに真剣に」
片身替 (かたみがわり) の羽織を見つけたとき、義勇の背中が微動だにしていなかったことを思い出す。
悩み抜き、実は鮭に傾いていたところ声をかけてしまったのだとしたら、なんだか横取りしたみたいで申し訳なく思えた。
「飛鳥井が遠慮する必要はない。鮭か鰤かで決めかねていたがこれで心置きなく鰤を選べる。鮮魚屋には鰤を一切れ見繕ってもらおう」
「あいよ!」
切り身をくるんだ包み紙を差し出そうとする星乃を遮り、義勇は店主に向かって落ち着いた口調でそう告げた。
店主が手早く包装した鰤の切り身を持ってくる。
懐から金銭を取り出す義勇に、星乃は訊ねた。
「冨岡さんのお屋敷からこの町は少し離れていますけれど、どうしてここへ?」
「今日は蕎麦を食ってきた。その帰りだ」
「あ、あの橋を越えたところにある」
「そうだ」
「お蕎麦お好きなんですか?」
「先日その店で蕎麦の早食いをした。それが思いのほか旨かったのでふと思い立ってまた足を運んだ」
「え······早食い、とは」
「後輩の隊士に勝負を持ちかけられたので応じた」
「勝負···? どうしてまた」
「なぜ早食いだったかは俺も知らない」