第3章 その蝶、侮ることなかれ
それは目の前にいる人物に対してではない。しのぶは常にその先の夜を見ている。そんな気がしてならないのだ。
「つべこべ言ってねェで、帰るってんならァとっとと帰れやァ」
「まあまあ、そんなに心配なさらなくても、これ以上お二人の邪魔をするつもりはありませんよ」
「だ···っっ、いたいなァ、何をひとりでこんな場所うろちょろしてんだよテメェはァア」
「姉の好きだった場所なんですここ」
ふいに低くなったしのぶの声音に、硝子片を拾う実弥の手がぴたりと止まった。
「昔は家族でもよく来たものです。あの入口の階段も、神木も、なにも変わっていなくって、なんとなく引き寄せられるようにここへ」
「···そうかィ」
硝子の破片を重ねる音と、的屋にぶら下がる風鈴の音が混ざり合って耳に届く。
実弥としのぶを避けるように、しかし途切れることなく行き来する人間がこれだけいる中、不思議と硝子の音だけが実弥の鼓膜を震わせていた。
実弥は、姉のカナエが生前しのぶの身を案じていたことを知っていた。
鬼の頸を斬れない剣士。そんな奴が本当に鬼殺隊としてやっていけるのかと、実弥は当初しのぶに対し不安を抱いていたのだが、毒という武器を手に、しのぶは数々の功績を残してきた。怪我を負った隊員らの治療も請け負い、今では皆そんなしのぶを頼りにしている。
実弥には、実妹のしのぶと共に入隊を決めたカナエの思考が理解できなかった。しかしながら、しのぶは毒だけでどこまで戦い続けることができるだろう。カナエにも、徐々にそのような想いが芽生えていたのだ。
死なないでほしい。生きてほしい。
怒りを抱いて血を流すより、穏やかに、長い人生を歩んでほしい。
『しのぶには鬼殺隊を辞めてほしいと思っているの』
そう漏らしたカナエの言葉を、実弥は今でも覚えている。
そのせいでもあるのだろう。しのぶを見ると、実弥は時に腹の奥底が枯渇するような想いに駆られる。それでいて、実弥にしのぶを鬼殺隊から退かせることなどできない。そんな権利もない。
鬼舞辻無惨を殺し、鬼という存在をこの世から根絶やしにする。
鬼のいない、
平和な世界を──。
自分たちが最後に行き着く想いは同じだ。
「なんて。実際のところは冷たいものでも買って少し涼んでいこうと思っただけなんですけどね」