第3章 その蝶、侮ることなかれ
「そうよ」
「あたしたちもね、おかあさんがかえってきたら、みんなでいくの!」
「好きなもの、なんでもひとつ買ってもらえるんだ!」
「それじゃあお母さんの帰りが待ち遠しいわね」
「でも、金魚すくいはだめだって母ちゃんが」
「しかたないだろ。うちじゃ飼えないんだから」
「ねえにぃに、あたし、あかいおさかながほしい」
「いつか取ってやるから、今はこれで我慢な」
ぽんぽんと、兄が妹の頭に掌を優しく弾ませる。
水面 (みなも) に反射する陽光が、三兄妹の素足にきらきらと纏いついていた。
生まれては消える光彩。
眩しくて、ほんの少しだけまぶたを細める。
( ···気持ち良さそう )
思わず下駄を放り投げ、自分も水面に飛び込んでしまいたい衝動に駆られてしまう。日傘を忘れてしまったせいで、じりじりとうなじを焼く酷熱が憎らしくてたまらない。
けれど、だめだめ。今日は実弥と待ち合わせをしているのだから。
ぶんぶんと頭を左右に揺らし、星乃は中腰にかがめていた姿勢をしゃんと正した。
「おねえちゃんのゆかたにも、きんぎょがおよいでる!」
「わ、そうなの。よくわかったね。気づいてもらえて嬉しいな」
「しっぽがながくって、くろくって、とってもすてきね」
そう言いながら、にっこりと笑ってみせた女の子にハッとした。
まるで花のようだと思った。強い陽射しの下でもへこたれずに咲く、日輪の花。女の子の笑顔はそれだった。
刹那、星乃の心に柔らかな風が吹き抜ける。胸底に折り重なる優しい記憶が、乾いた音をたて開く。
( ···カナエも、花のように咲う子だったな )
見目形は似ていない。それなのに、女の子の笑顔が亡き友と重なって見えた。
星乃は帯に手を添えた。
浴衣はこの日のために新調したものだ。
縁日や夜店からはしばらく遠ざかっていたこともあり、思いきって呉服屋を訪ね、店主の女将に見立ててもらった。
白地の布に水墨画で描いたような金魚が散りばめられている、注染 (ちゅうせん) の浴衣。
帯は、赤色をくすませた濃紅葉 (こいもみじ) という色合いのもの。
カナエから譲り受けた、大切な帯。