第13章 過ぎ来し方、草いきれ
清二の声が聞こえたとたん、星乃の心臓がまたドクリと波打つ。
なぜ清二は何事もなかったかのように文乃と接していられるのだろう。なぜまたここにのこのこと顔を出せに来られるのだろう。
『そうだ、姉様、お土産にいちごの甘味を買って帰るわ。それなら食欲がなくても喉を通るかも』
愛するひとと街へ出かけることが楽しみでしかたないといった様子の文乃を清二から引き剥がし、今すぐ屋敷から追い出してしまいたい衝動をこらえながら、星乃は文乃に背を向けたまま「無理せずにね」の一言を振り絞った。
文乃ちゃんの体調も考慮して早めに帰ってこようねという清二の優しい声がする。
文乃にとっては、以前となんら変わりない清二の姿だ。
どんなときでも文乃を気遣い、文乃の身体に負担のないよう努めてくれる、清二の。
いまだ信じたくない気持ちが強くある。昨晩のことは悪い夢であったのだと。そうであれば、どんなにか救われるだろう、と。
だが、身体に刻まれた夜分の痛みも、夜の衣に染みた血も、紛れもなく、清二に乱暴されたものだ。
『星乃?』
しばらく横になっていると、また別の声がかかった。
匡近の声だった。
『入るぞー?』
言うのと同時に障子戸が開かれて、匡近が傍までやってきた気配を感じる。
返事もしていないのに、匡近はいつもこうして頓着なくやってくるのだ。
まあ、匡近だから···と怒る気にもなれず、いつしか星乃も慣れてしまった。
今回ばかりは匡近の前でも平然としていられる気がしない。いっそのこと、このまま寝たふりでもしてしまおう。
よいしょ、という声と共に、匡近がその場に座り込んだのだろう畳の擦れる音がした。
『キヨ乃婆ちゃんから聞いたぞ? 具合が良くないらしいじゃないか。大丈夫か?』
そう言う匡近の口ぶりは、星乃が起きているとわかっている様子を感じさせる。やはり匡近に寝たふりは通用しないらしい。
『···うん、平気よ。少し休めば良くなると思うから』
『なんだ、湯冷めでもしたか? もうすぐ最終選別もあるんだから、無理は禁物だぞ?』
聞き慣れた匡近の優しい声が星乃の心にじんわり染み入ってくる。