第13章 過ぎ来し方、草いきれ
「···"あのこと"を、忘れたとは言わせませんよ。飛鳥井さん」
利き手とは逆の耳もとへ手を交差させ、男ははらりと口隠しの布をほどいた。
素顔を見た瞬間、星乃は戦慄した。
このひとは······ううん違う。本人じゃ、ない。
でも、似ている。
───あのひとに。
「塚本清二を、ご存じでしょう」
塚本清二 (つかもとせいじ)。
その名を、星乃はよく知っている。そして、たった今明らかになったばかりの隠の素顔は、そこかしこに清二の俤 (おもかげ) を宿している。
すっと通った鼻筋や、薄い唇。頬から顎にかけての肉付きの少ない輪郭も、清二のそれとよく似ている面様に怖気が走った。
「···清二、さんの」
「彼は、私の兄です」
青い炎を孕んでいるような双眸が、星乃を無慈悲に見下ろしていた。
眩暈がした。
忘れ得ぬ夏の日。蝉の死骸。むせるような草いきれ。
「あなたの妹の婚約者だった兄を······兄の人生を······不幸のどん底へ追いやったのは、あなただ」
決して消えない記憶の端で、
夕蝉が鳴いている。
病弱な文乃は学校にほとんど通えなかった。女学校に在籍はしていたものの年に数えるほどしか出席できず、そのぶん家庭教師を屋敷に招いて勉学に励んだ。
その家庭教師が、塚本清二という青年だった。
出逢った頃、清二の歳は十八。星乃は十四。文乃は十三。
星乃は高等小学校を終了する年齢で、その後学校へは通わずに、鬼殺隊最終選別に向けての本格的な鍛練と修行を開始していた。
匡近との出逢いもこの頃である。
清二は中学校の教師になることを夢見ており、高等師範学校に通いながら家庭教師として文乃の勉強の面倒を見ていた。
独力で、後学のためにと家庭教師を必要とする家を探していたところ、近隣の住人から飛鳥井の家を教えられたという。
じきに清二と文乃は惹かれ合い、二人は結婚の約束をした。