第12章 ささくれ
「ったく何なんだ冨岡はァ、本当にふざけた野郎だぜ」
その頃、実弥は気を取り直し一人で野天を堪能していた。
先日任務で負った背中の傷は思っていたよりも化膿がひどく、しのぶから処方された塗り薬も二本目になる。おかげでずいぶんと良くはなったものの、まだ湯浴み時は少々染みる。もっとも、温泉が極楽であることに変わりはなく、実弥は喉の奥からあァ"、と恍惚にも似た声を発した。
以前、この温泉で一度だけ匡近と背中を流し合ったことがあった。
匡近は、何かにつけ兄貴風を吹かせるような物言いをしてくる男だった。一方で、普段はてんで無邪気というか、こいつはなぜ鬼殺隊なんぞやっているのかと首を傾げたくなるほどに能天気な男でもあった。
はしゃぎ回り泳ぎ出した匡近に「落ち着けェ」と促すと、「実弥はおっさん臭いなあ」などと口走ってくるような。
あれではいったいどちらが兄か弟なのかわからない。匡近は顔も童顔だった。
しかし、下弦の壱との戦いの最中、心底実感させられた。匡近は、紛うことなき兄弟子だった。
あの戦いに、匡近なしの勝利はなかった。
言えると思っていた。
無事決着がついた後、匡近と星乃の新たな門出を言祝 (ことほ) いで。
末永く、幸せになァ。
そう伝えようと、戦いの最中心に決めた。
ザブン、と湯の中に沈み込む。
恨み言のひとつも言わず、最期まで、他人の幸せを願っていた匡近。
匡近の最期の姿が、眼裏に鮮明によみがえる。
『···実弥、星乃のこと、頼むな』
『お前は···死ぬな』
『絶対に、幸せに───…』
今でも時折夢に見るのだ。
くだらねぇことぬかしてる暇はねェぞと、俺は匡近に呼び掛けている。
お前はこれから星乃と祝言を挙げんだろうが。
生きて、星乃のもとへ戻うぜ。
なァ匡近。
生きろよ。
頼むから。
───生きてくれよ、匡近。
祝福させて、ほしかった。
言わせてほしかった。
『おめでとう』その一言を。
現実では声にならなかった言葉たち。
悲しみを押し殺し、ただ亡骸を抱えて泣いた。
本当は、匡近が匡近の手で星乃を幸せにしてやりたかったろう。