第10章 潜熱の訪れ ( 誕生日 )
隠は、一 丈 (約三メートル) ほど離れた距離から片膝を立てその場で姿勢を低くした。
体格や声色から男の隠であると認識できる。
星乃も半端に上体を起こして隠に視線を向けていたので、実弥は星乃の腕を引き上げその場に腰を据えさせた。
「明け方飛鳥井様が怪我を負い治療を受けた際、処方された鎮痛薬と塗り薬を蝶屋敷にお忘れになられたとのことで、胡蝶様からの申し付けにより私がお届けに参りました」
「え」
星乃は力なく座り込み、しかし思いがけない隠の言葉にごそごそと羽織や隊服の衣嚢をまさぐりはじめる。
あの後ちゃんとここに···こっち? あら、ここだったかしら···。
呟きながら一通り探し終えたあと、ようやく失態の事実に気づいた様子で双眸を見開く。
「っ、ごめんなさい、それでわざわざ届けてくださったのね。申し訳ないわ」
「とんでもございません。お怪我の具合はいかがですか?」
「ええ···おかげ様で、大したことなく···」
不意に、星乃が「あ」と声を発した。
「あの、もしかして、蝶屋敷まで運んでくださった隠のかたですか···?」
「はい」
「やっぱり···! 気を失う前に声をかけてくださったでしょう? その声に覚えがあったの」
「だいぶ出血なさっていたようにお見受けしましたが」
「掠り処が少し悪かっただけで、傷はそれほど深くなかったの」
「そうですか。飛鳥井様の無事が確認できて、ほっとしました」
「ありがとうございます。本当に助かりました。けれどよくここにいるとわかりましたね」
「ええ。それは胡蝶様が」
「しのぶちゃん?」
「はい。飛鳥井様なら今日は風柱様のお屋敷へ寄って行かれるのでは、と」
柱を前にすると尻込みしてしまう隠も多いが、目の前の隠はとりわけ実弥の存在を気にする様子も見せずに星乃と流暢に会話をしている。
実弥は、若干不審がるような面持ちで眉をひそめた。
薬を届けるぐらいなら鴉にでも頼めば済む話だろう。わざわざ隠が出向く必要があるとは思えない。