第10章 潜熱の訪れ ( 誕生日 )
「さね···っ!!」
実弥が自分の下にいるとわかり、唐突に混乱した。けれど勢いのまま飛び起きようとした身体はなぜかびくとも動かなかった。
そうだ。確か、茶器を乗せたお盆ごと縁側から落ちかけて、実弥に腕を強く引かれたのだ。
直後に鼓膜をつんざくような音がした。真っ先に、粉々に砕けてしまった急須や湯呑みの映像が頭に浮かんだ。
九谷焼の花詰の茶器だった。
輪郭を金で彩色した色鮮やかな花柄で、実弥が自分で購入したものにしては女性的すぎる気がする。もしかしたら贈り物だったのかもしれない。だとしたならばなおさらお詫びのしようもない。
「何してんだてめぇはァ···」
「ご、ごめんなさ···っ」
「そのチラホラかましやがる鈍くせェの何とかしろォ」
「で、でも、あのくらいなら私、受け身を取れたかと」
「アァ?」
「いえすみません助かりました」
ハァァと実弥が大息をつく。とうとう呆れ返ってしまったかと思いきや、ぽんぽんと優しく腰を叩かれ星乃の心臓が大きく震えた。
起き上がれなかったのは、星乃の腰に実弥の腕ががっちりと回されていたからだった。
うなじにはもう一方の手の感触があることを知り、どうしたらいいのかわからないまま頬だけが熱を帯びてゆく。
「···次は、そんくらいの怪我じゃァ済まねぇことになるかもしんねぇだろうが」
「あ···」
実弥の言う通りだ。もしも頭から落ちていたら、傷口が開いていた可能性もある。
「······ありがとう」
うなじに添えられていた手が後頭部を一度だけ行き来した。
辺りに散った茶葉の香りが鼻腔に絡む。
秋風が、熱を上げた体温には心地良い。
実弥の心音は正常だった。
星乃の鼓動は不自然に足早で、実弥にこの音を悟られているのではないかと思うと羞恥で逃げ出したい気持ちになる。
実弥の腕の力はさきほどよりもずっと緩んでいる。今ならば起き上がれるはずだ。
なのだ···けれど。
( やっぱり私······おかしい、な )
全集中は問題なく巡っているはずなのに、息が苦しい。
離れたいのに、もう少しだけ。
そんな風に思っている。