第10章 潜熱の訪れ ( 誕生日 )
しゃがみ込み、星乃は艶のある小さな黒い頭に親指を滑らせた。
紅葉は気持ち良さそうに目を瞑り、同じく詫び入るように星乃の膝にすり寄ってゆく。
しょげた顔でうつむく星乃の頭頂に、ぽん、と温かなものが乗っかった。
実弥の手だった。
「···怪我してんだから、無理はすんなって話だ」
いつかの "いいこいいこ"とは少し異なる、はじめから、優しさだけをふんだんに乗せたような音が響いた。
触れられた場所からじんわりとあたたかみが広がる心地。外気はとても冷えているのに、身体の芯が熱を帯びているのがわかる。
夏の縁日、浴衣の内側に伝った汗をふと思い出し、やや心拍数を上げた心臓に困惑を隠せないまま星乃は頬を赤らめた。
わざわざ、悪かったなァ。と、彼方を見ている実弥の小声が落ちてくる。これも実弥が照れたときの素振りのひとつ。
どうしてだろう。
こっそりと、下から盗み見るようにしか、実弥の顔が見られない。
「······へェ」
縁側で、実弥は"それ"に瞠目し感嘆の声を漏らした。
「ね、私も感動しちゃったの。大きさもたくさんあって迷ったんだけど」
「いや、空世辞なしでこんくれェのもん探しててよ」
「本当? よかった。お部屋に飾っておくだけでも素敵かなって」
「確かに虫籠として扱うにはもったいねぇ気もすんなァ」
「でも、虫籠として作られたものなんだから、虫籠として使うのが一番だと思うわ」
星乃は力説しながら胸の前で両拳をぐっと握った。
星乃が贈り物に選んだそれは大和虫籠と呼ばれるもので、江戸の時代から続く歴史ある工房で高い技術を持つ職人だけが扱えるという、竹細工の伝統工芸品である。
竹とんぼや水てっぽうなど、幼い頃から竹細工のおもちゃにはそれなりに慣れ親しんできた。
工房ではそういった子供向けのおもちゃからお皿などの生活用具も取り扱っていて、さらに奥まった場所へ進んだところに虫籠が展示されていた。
ひときわ異彩を放つ精巧さと美しさには、出会った瞬間星乃も思わず唸ってしまったほどだった。