第8章 追憶の炎、消えぬ黄昏
あ"ァァ~······と、ついには白旗を上げる声を発し、
実弥は、天を仰いだ。
「馬っ鹿野郎がァ······」
行儀やら足癖やらを気にかける余裕はない。
星乃を抱える二本の腕は自由がきかず、普段は滅多に使用することのない和室のふすまに実弥は迷わず片足をかけた。
誤った加減で開いたふすまはスパンとやけに清々しい音をたてたが、よほど深い眠りに沈んでいるのか星乃はぴくりとも動かない。
多少の振動や騒音で目覚める気配は微塵もなく、もはや気絶に近い状態に思える。
昨日 (さくじつ) 天日干ししたばかりの客人用の夜具の出番がこんなにもすぐにやってくるとは夢にも思っていなかった。
これまで、『屋敷には上げてなるものか』と意地を通してきた結果がこれだ。努力とは時に思わぬ方向から泡にされてしまうものである。とはいえ倒れ込むように眠る星乃をくだらない己の欲望制御のため突き放せるわけもない。
さすがに衰弱し眠りこけている女に手を出すほど落ちぶれちゃあいねェ。
そう強く言い聞かせ、煩悩を断ち切るため実弥は邪念を振り払った。
ゆっくりと、腕の中で眠る星乃を寝床へ下ろす。あらかじめ脱がせておいた羽織を衣紋掛けに納め終えると、実弥はふうぅと一息吐きその場から静かに立ち去ろうとした。
その時だった。
「きょ、じゅろ」
ぎくりとし振り返る。
掛け布団を肩まで被り横たわる星乃の双眸は閉ざされたまま。
「、んだ···寝言」
刹那、ふすまに掛けた手が、するりと滑り落ちた。実弥の双眸に飛び込んできたそれは、星乃のこめかみに流れた涙だった。
ぐ、と畳を踏み込んで、踵を返す。
片膝を立て、枕もとに腰を落とした。
青白い頬に指を添え、濡れた睫毛をそっと拭う。
「···そういやァ、お前と煉獄は昔の馴染みと言ってたなァ」
静かな声で、実弥は言った。
うろ覚えだが、以前、杏寿郎が星乃と林道の話をしていたことを思い出したのだ。
「そりゃ、辛ぇよなァ」
実弥にとっても、無限列車の報せはにわかには信じがたいものだった。
煉獄杏寿郎の強さは実弥も認めていたからだ。