第2章 第二章 刃、鋭く玲瓏に
御客人の姿がない事に気づきながらも鬼がさまよう寺を歩く勇気は誰も無い。御堂で身を震わせ、念仏を唱えながら禍が過ぎ去るのを待つ。空を舞う烏の鳴き声が此方を咎める様に、震え上がり身を縮こまらせる人間を嘲笑う様だ。
縁壱の体を抱く尼御前の力はとても強い。指先も全身もすっかり冷えていた。それは己も同じだった。身体を伝う汗だけが異様に熱い。
しかし、それと同時に、姿が見えない客人を哀れに思った。大の大人ですら、こうして怯えているというのに、客人は一人でいる。
まだ、無事だろうか?それとも鬼に喰われただろうか?
そうして考えを巡らせているとふと、烏の鳴き声が止んだのに気づいた。
お堂の周りを歩いていた地鳴りの様なあの足跡が聞こえない代わりに、バタバタと複数の人が足早に駆ける足音と、鈴虫の声が聞こえて来た。
「ご無事か?!」
歳若く、逞しい武士達が障子を開けて此方に入ってくる。
人と判別できるものを見つけ。胸の奥底から沸き立つ様な不安が消える。
しどろもどろになりながら尼君達が先頭に立っていた武士に何か告げる。
「あいわかった。尼御前方安心召されよ。よくぞ、無事でいてくれた。我々が来たからにはもう大丈夫だ。」
武士は足早に部屋を出て行き、他の武士達は護衛とばかりに御堂の周りの警護にあたる。
先程まで恐ろしい位、静かだったのに今は風のそよぐおとに混じって鳥たちの声もする。
あれ程恐ろしかった鬼の気配も、武士達が来たと同時に無くなった。武士達に恐れて去ったのか?或いは、満足して去ったのか?
客人は、どうなってしまったのか?
『若君様より、お頼みされたお客人が見当たりませぬ。鬼が姿を現した時にはいらっしゃったのですが、一体どちらに行かれたのか』
夜も更けて幾ばくか過ぎた頃、烏が一斉に騒ぎ出し、この寺が鬼の襲撃を受けているところを告げた。むせ返る様に強い藤の香りが立ち込めるこの寺によもや鬼が出るとは誰も予想していなかった。
若君も此処が安全だからと選んだのだ。
稀血という存在がいるのは長年鬼と戦ってきた我等だ。多少の知識はある。が、これだけの藤の香気もあり、まして傷を負ってすらいない人間の香りを鬼が感知するとは思わなかった。
庵の一角に差し掛かった時コトリと微かな物音がして、刀の柄に手を添える。足音を当てぬ様に近づいた。