第10章 オリオンとアルテミス
「来てたのかい」
マヤが振り向くと、ヘングスト爺さんが皺だらけの顔をほころばせて立っていた。
「ヘングストさん!」
ブルルルルッ。
「おぅおぅ、アルテミスも喜んでるよ」
「さっき人参のかけら、あげたんです」
ヘングストは目を細める。
「本当にお前は、よく来てくれるのぅ」
ヘングスト・クンマーは、調査兵団専属の馬丁である。なんでも十五の春からここで働いているらしく、もうかれこれ五十年も馬一筋の大ベテランだ。
五十年もの間、数多くの馬と調査兵を見送ってきた。
そんな彼の目は一見厳しいが、その奥に宿る光はどこまでも優しい。
「そうですか? 本当はもっと来てあげたいんだけど…」
マヤが申し訳なさそうにつぶやくと、ヘングストは優しく笑った。
「ほとんどの者が、この子らと接するのは訓練のときだけじゃ」
「……そうなんですか」
マヤはそういえばペトラもオルオも、厩舎に行くところを見たことがないな… と思った。
「足繁くこの子らの顔を見にくるのはマヤ… お前とモブリット…」
……ふふ モブリットさん、ハンジさんの目を盗んで苦手な人参をペルセウスにあげに来ているものね。
「あとは、リヴァイ兵長くらいのもんじゃ」
「え? リヴァイ兵長?」
朝の兵長を思い出し、声がうわずってしまう。
「そうじゃ」
「でも私、一度も見かけたことないですけど…」
「そりゃ お前、兵長の馬はここにいないからのぅ」
「あっ… そうか」
……そうだった、幹部の馬は厩舎が違う。ミケ分隊長のヘラクレスも、ここにはいなかったわ。
マヤが納得して一人うなずいていると、ヘングストが誘ってきた。
「どうだい? 兵長の馬を見てみるかの?」
「はい!」
馬も鳥も… 生きとし生けるものが大好きなマヤは、目を輝かせた。
「ついておいで」
「アルテミス… またね」
アルテミスの首すじをポンと叩いて、マヤは先を行くヘングストを追った。