第29章 カモミールの庭で
マヤの言葉を噛みしめるようにして聞いていたマスターは、立ち止まってもう一度振り返る。
「いや… 俺の方こそ、すまなかったな。聞いてもらってすっきりした」
晴れ晴れした顔をしているマスターは、路地の先を指さした。
「メリーのおふくろさんがやっている画材屋は、あの立て看板を出している店だ。俺の案内はここまでだ」
「あっ、マスターさんは…」
“メリーさんに会っていかれないんですか?” と訊きかけた言葉をのみこむ。
恐らくマヤの言いたいことがわかったのだろう。
マスターはおだやかな笑みを浮かべた。
「俺は…、俺の店で待つよ。……いつまでもな」
「そうですか…」
マヤはリヴァイの顔を見てから、マスターに礼を言う。
「ありがとうございました」
リヴァイも心をこめて、言葉を贈る。
「俺が飲んだ紅茶は最高だった。きっと…、いや必ず戻ってくる…、幼い娘を連れてな」
「ありがとう、リヴァイ兵士長」
………!
リヴァイのことを知っていたのかと驚いて視線を交わした二人に、マスターは説明する。
「ついさっき気づいたんだ。どこかで見た顔だとは思っていたんだが」
「新聞ですか…?」
「そう、新聞だ」
マスターはリヴァイの顔をちらりと見てから、マヤにささやいた。
「実物の方がいい男だな」
「はい。あっ…」
思わず “はい” と答えてしまって、赤面する。
「フッ」
赤くなっているマヤと、どことなく気まずそうな雰囲気でそっぽを向いているリヴァイに対して笑みを浮かべると、マスターは “じゃあな” と帰っていった。
その背に一礼しているマヤに、リヴァイは “行くぞ” と声をかけた。
「……いよいよですね」
「そうだな」
「メリーさんは、ご主人を亡くされたばかりなのにザックまでも…」
言葉に詰まる。
本人が目の前にいないのにこのざまだ。今から本人と対峙して、はたして務めを果たすことができるのか。
マヤは忸怩たる思いで一歩を踏み出せないでいる。
「……どんな困難な状況でも俺たちの仲間の家族には、誠意をもってすべてを伝える。それしかねぇだろ」
「そうですね」
マヤは覚悟を決めて大きくうなずくと、二十メートルほど先にある画材屋に向けて歩き始めた。