第28章 たちこめる霧に包まれたひとつの星
マヤが笑えば、ふわりと紅茶の香りがミケの鼻こうをくすぐる。
要らぬ心配をさせないために言葉にした、“渡した” であり “幸せ” ではあるが、“渡した” はともかく “幸せ” は真実そうだと今気づいた。
マヤが好きだ。
自分のものにしたいという欲望が、全く1ミリもないのかといえばそうではないが。
だがリヴァイを想って笑うマヤ、泣くマヤ、恥じらうマヤ…。マヤのすべてがリヴァイでいっぱいでも、その笑顔が自分ではなくリヴァイに向けられるものであっても。ただマヤのそばで見守ることができるのならば、それが何よりも尊くて。
他の男を想う女を、その想い丸ごと愛おしいと感じる日がくるなんて。
こんな風に想える自分がいることに、ミケは驚く。
……昔はそうではなかった。
記憶をたどれば、ミケのたぐい稀なる鼻の想い出の引き出しから漂ってくるのは、フルーティーな香り。
その香りはいつも自分ではなく、違う男のために芳香を放っていた。
なんとか自分のものにならないかと焦ったこともある。
しかし焦れば焦るほど、生まれてこのかた一番良い香りだと胸をときめかせたフルーティーな香りは遠ざかった。
……あのとき俺は決めたんだ。
もう二度と、誰かの心を無理に求めたりはしないと。
だがその決意は、そう簡単なことではなかった。
理性で決めた想いと、本能にしたがう欲望とは相容れない。
だからこの先、違う香りを欲するときがきたとしても、無理やりに気持ちを抑えこむはずだったのに。
……今は心から感じるんだ。
紅茶の香りが他の男のためにかぐわしくなっていっても、それが愛おしいと。
そして心からそう想えるようになった自分が “幸せ” だと。