第27章 翔ぶ
今この船室で、シャワーの熱い湯の感触を思い返すだけでも胸が疼く。
果てしなく長く黒い夜が明け、ようやく呪いの屋敷を去るときが来てみたならば、最後の最後にレイモンド卿がマヤを人けのないところに連れ出して、何かささやいている。
気にならないと言えば嘘になる。
……何か約束でもしているのか?
そもそもあのテラスで俺のことを “ただの上司” だとヤツに告げたあとには、どういう展開があったのだろうか。
想像したくもねぇが上司ではないレイモンド卿なら、マヤの恋愛対象に充分になりうる。
ならば二人はもう…。
……考えたくもねぇ!
すべてをシャットアウトするように、乗りこんだ馬車でも船でも不必要な行動と発言は一切しなかった。
そしてただ硬い椅子に座って、船窓から流れては視界の過去になっていく景色を、意味もなく睨みつけている。
時間の感覚すら失われつつある。
確か、エミルハ区を過ぎた。
乗船してから長かったような、一瞬だったような…。もはやどうでもいい。俺が時の流れをどのように感じようとも、そのうちトロスト区にいやでも船は着く。そして馬車に揺られて兵舎に帰還、団長室に報告をしに行かねばならない。
何もかも見透かした顔をして、いつも静かに執務机の上で両手を組んでいるエルヴィン。
……行きたくねぇ…。
だが、そうはいかねぇ。
あいつに託された書類とナイル宛ての私信。引き受けた以上は帰舎後すみやかに報告を上げることは “守るべきルール” だ。
……ハッ、厄介だな… 俺も。
おのれの内なる厳格な遵守の精神に、その整った顔をゆがめた。
今のような… ぼろぼろな気持ちのときにルールなんかクソくらえ! でかまわないはずなのに、そうとは簡単にいかない自身の規律を自虐的に口の端を曲げて笑うしかなかった。