第26章 翡翠の誘惑
レイは速やかに広間に入ってきたナイルを出迎えた。
「これはこれは師団長。ようこそお越しくださいました」
差し出された右手をナイルはしっかりと握り返す。
「本日はお招きいただきありがとうございます。遅れてしまって… かたじけない」
「いえ。リヴァイ兵士長から急務だと聞いているが…」
「あぁ、それは…」
ナイルはきょろきょろとあたりを見渡してから、少し声を落とした。
「アトラス卿もあのとき居合わせたのでお教えしますが…。事態が公になるまでは内密でお願いしますよ」
レイとアトラスは素早く視線を絡ませてから同時にうなずいた。
「行方不明になっていた箔職人が発見されました」
グロブナー家がミスリル銀を掘り当ててから一年後に、箔職人が次々と失踪するという事件が起こっていたのだ。
ミスリル銀の純度不正製造および憲兵への賄賂容疑で逮捕されたグロブナー伯爵だったが、取り調べでは頑なに箔職人の失踪事件への関与を否定していた。
「素直に聴取に応じていた伯爵が唯一、箔職人の失踪に関しては一切口を割らなかった。だが今日、一人の箔職人が見つかったことで事件の真相に近づけるでしょう。ただ…、今のところは箔職人が事情を話せる状況ではなく…、時間がかかりそうです」
厳しい表情のナイル。
「箔職人はどこで見つかったんだ?」
「……工業区です」
「「工業区!?」」
ナイルは一段と声を落とした。
「工業区には馬鹿でかい廃液槽があるが、その近くで廃人同様にうろついているのを発見されたんです」
工業区にある廃液槽は、どんな物質でもドロドロに溶かしてしまう。生産過程で排出される不要物はここで溶かされるか、廃棄物焼却炉で燃やされるかのどちらかだ。
「一体、何が…? 廃液槽に突き落とされたのか?」
青ざめるレイの端正な顔をナイルはじっと見つめながら答える。
「いや、医師によると廃液は身体にかかっていないらしい。一滴でも皮膚に付着すれば、診察で見逃すことはないとのこと。ただ精神が破壊されて廃人状態になっているらしいです」
「精神崩壊…、廃人…」
いつもは能天気なアトラスの声も震えている。
「恐らく想像を絶する恐怖に見舞われたのかと…」
混乱して意味不明な言葉を叫び、自らの身体を傷つけている箔職人の姿を思い出して、ナイルの声は暗く沈んだ。