第4章 月と踊り子
それは秀吉公が特に好んだ能の一つ、その後段の天女の舞だった。
『賀茂』自体は夏の物語だが、殊の外この能を気に入っていた秀吉は、折に触れて鑑賞会を開催した。
冬の終わりに寵臣だけを集めて、大坂城で開いた能の夕べには、まだ若かりし頃の三成も伴われている。
――賀茂川の水が流れるように、●●の体もまた、ゆっくりと音もなく流れていく。
三成の心に、再びあの夢の光景がよみがえった。
『三成よ、見事なものだろう』
そうだ。
あの時。
戯れに最後の白牡丹を三成の膝に投げて寄越したのは、
他でもない、秀吉公だった。
――見よ、三成
あのような強さもあるのだ。あのような美しさがあるのだ。
――我は、この日本を、世にまたなき強き国としたい。
それは光だった。
三成にとって、唯一無二の光だった。
もはやこの世ならざるところにあって、まだ輝きを放ち続ける永遠の光だった。
長い夜の果てに。
柔らかな川面のように、光も闇も飲み込む●●の舞は、一陣の風を呼んだ。
――夢の中の動きを辿る。
三成は、庭先で踊る●●の姿に手を伸ばした。
夢中の内にある●●は、その動きに気付かない。
音もなく延ばされた三成の手が、己の手首をとらえて引き寄せた瞬間に、
ようやく目覚めたように顔を上げた。
「石田様」
声を発したときには、もう●●の体は、三成の胸の中にしっかりと抱きこまれていた。
「…石田、様」
「見事」
言葉もなく、二人はそのまま立ち尽くした。
薄く汗に湿った●●の身体は、あの柔らかな舞からは想像もできない熱を帯びている。
短いが、自らの思いをすべて込めつくした、渾身の演舞だった。
●●には、もう抵抗する力どころか、強張るだけの余力も残っていなかった。
望みの褒美を取らせよう、という三成の言葉に、●●は一言だけ答えた。