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月と踊り子

第3章 幕間


いつもは母屋から離れた、役者部屋の近くにある大湯屋を使っているが、
今日は、内湯を使ってよいと言われている。

内湯は、母屋近くの離れに用意された、座長とその家族のみが使える、小さいが立派な浴室である。
整えられた内庭を眺めながら、渡り廊下を行けば、すでにしっとりとした湯気をこぼしている内湯の窓が垣間見えた。

ここを使うのは、何年振りだろう。
他人事のように思い起こしながら、●●は服を脱いで、馴染んだ湯屋の中に足を踏み入れた。
濃い木の香りが鼻をくすぐる。
朝の光を受け止めた湯気が、光の粒子をあちこちに散らすせいで、湯船が金色のさざ波に揺れていた。
かけ湯をして、湯に入ると、体中から一瞬で力が抜けていくのが分かった。
肌に触れる湯の感触は、熱く軽い。贅沢なことに、沸かしたてのさら湯だった。

深く、息が抜けていく。

●●は、瞳を閉じた。
世界が、喜びに瞬くような朝だ。
木も花も、草も、小鳥たちも、
物言わぬ器物の一つ一つに至るまで、
目に映る全てが、爆発するような輝きにあふれている。

それだけで踊りだしたくなるような、魅惑的な朝だった。

湯船から溢れる湯に乗せて、●●の体から昨夜の興奮が再びよみがえった。
楽の音、秋虫の声、松明の燃える音、人々のさざめき、どよめき、そして興奮と喝采。
舞台の上に充満する、生々しい熱。
遠い存在だった全てが、その瞬間●●とともにあった。
自分の舞が、舞を呼ぶ。兄弟子たちの舞が、●●を呼ぶ。

初めての経験は、全身の感覚が記憶していた。

これが、舞台に出て踊る、ということ。
それはあまりに、強烈な経験だった。
受け止めた感覚があまりにも大きすぎて、叫びだしたくなる自分自身を抑えようと、
●●は、一度湯船に顔まで使った。

鼻から口から、盛大に気泡があふれた。
泡の陰に隠れ損なったか、もう一つ、●●の目に、
それ以上に今どうしても焼き付いて忘れられない、一つの影が浮かんだ。

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