第2章 宵待月
試し舞が終わった後、●●の「巴」に異論をさしはさむものは、もはや誰一人いなかった。
●●の舞が、全てを飲み込み尽くした瞬間だった。
それからは、日も夜もない壮絶な修練の毎日が始まった。
公演までおよそ半月与えられた時間は、ほぼすべてが「舞」のみに費やされた。
それ以外の出来事は、いつ日が沈み、いつ夜が明けたかすら、まるで覚えがない。
まさに、半月は飛ぶように過ぎた。
そしてとうとう迎えた御前公演の今夜、兄弟子は、感慨深く●●を見つめた。
自分と、そう年は変わらないだろう。
傾いた化粧にすっかりおおわれているものの、まだあどけなささえ残したままの娘だ。
その面差しは、確かにはっとするほど美しいが、一度猿楽を離れれば、傍にいることにすら気づく者がいないのではないか、
そう思うほどに影が薄い。
事実、今日まで●●の存在自体、知らぬ弟子も少なくなかった。
しかし、今ひとたび楽の音が流れ出せば、
――そこには、世にまたなき弁天の化身が降臨する。
『熊野』を踊る●●の姿は、今もくっきりと兄弟子の瞳の奥に焼きついている。
天与の才、か。
兄弟子は自嘲気味に心の中でつぶやいた。
なぜ、これほどの娘を今の今まで下弟子のままにしておいたのです、と座長に問うと、
――普通の娘のままにしておいた方が、この子には幸せかと思ってね
という答えが返ってきた。
その意味を知るのに、時間はかからなかった。
シテを任されたと見るや、●●は公演まで、睡眠も食事もとらず、練習に没頭し始めた。
湯浴みももちろん、下手をすれば厠にも行っていないのではと思われるほど、
稽古場からは●●の鬼気迫る舞の音がいつまでも響いていた。
それは、修練の量をもって誰よりも修練してきたと自他ともに認める彼ですら、
到底叶わないと舌をまかざるを得ないほどである。
しかし、兄弟子が戦慄したのは、それだけではない。