第12章 絶佳
彼が部屋を出てどれ位経ったか。
絶えず聞こえていた鼻をすする音が止んだのは少し前だ。
彼に何もしてやれない自分が情けない。私が出来るのは彼を受け止めてやる事くらいなのに。
「章吉、おる?」
返事の有無はどうだって良い。扉越しに彼に声を掛け扉の前に座る。彼は一体どこに座っているだろうか。
「おるで…」
声のする方に身をずらし、背中合わせに座り込む。壁に阻まれているのに何故だが温もりが伝わる気がした。
「なぁ、章吉言うてたやんか。同級生の子らと肩組んでゴールしたいって。三年目、私見に行くし、それ叶えてや」
こつん、頭を壁にぶつけると、向こう側から同じ音がした。
「私、ロードレースなんてよう知らん。けど章吉が夢見た姿を見たいねん。章吉の頑張り、全部知っとるなんてよう言わん。けど、章吉ならきっと叶えれるんやろなって思ってんねん」
目を閉じ、数度観た彼のレースを思い出す。泣き顔も、ガッツポーズも、悔しそうな顔も全部、鮮明に思い出せる。
「なぁなぁ、今からちょっとだけ私と走りに行かん?」
笑い、そう誘うと少し間を空けて扉が開いた。
先程より更に赤くなった目で、彼が私をじっと見た。
「行こか…」
日付が変わる少し前。頼りない二つの光。
河川敷を目指してゆっくり漕ぎ出す。