第10章 eraser
言葉よりも先に解けた指先。そしてアイツが静かに脱ぎ捨てたブーツは彼方に投げられた。
「冷たいな」
ソックスすら脱いで海へ進むアイツの背中。黒のニットが海と空に混じる様に見えて、心臓が痛くなった。裾にあしらわれたレースさえ濡れてしまっている。
「まいか」
名前を呼び、こちらへ戻るように言おうとした。だが振り返った顔を見て、やはり俺は何も言えなかった。
月に弾かれ、輝く宝石は俺の口を塞いでしまった。
「先生。私怖くなっちゃった」
見えぬ恐怖を背後に背負った、等身大のまいか。
それを引き留める権利が俺にあるのだろうか。
「ヒーローになりたかった。…父も母も、みんな雄英に受かったって聞いて自分の事のように喜んでくれた。でも、怖い」
ぽとぽとと瞳から零れ落ちる宝石は波に沈み攫われる。
「先生が、抱き締めてくれたから…頑張らなきゃって思った。でもふとした時……眠りに落ちる隙間、手を洗って鏡を見る瞬間、些細な時に思い出しちゃうの」
今、俺が口を開けばまいかをまた狭い箱の中に無理矢理押し込めてしまう。また、一人暗い夜を漂わせてしまう。
静かに見つめて、全てを受け止めてやろう。そう思った。
「大好きだった先生が、たまに怖く思えてしまうの」
無理に作った笑顔で、まいかはぽつり、呟いた。
「キラキラして、ヒーローになる為に頑張る皆を見て嫌な気持ちになるの。あんな怖い目にあった事の無い子が、ヒーローになる為に前に進む姿を見て、私どうすれば良いのか分からなくなっちゃったの」
まいかが落とす言葉一つ、何一つ間違ってはいない。
だがそれを肯定してしまえば、教師としての何かを失うだろう。
逆に否定をすれば、まいかはいとも簡単に壊れてしまう。
「だから、先生。最後のお願い聞いてくれる?」