第10章 eraser
お待たせ、と再び姿を現したのは三十分後。
黒いニットのワンピースは少しだけ似合っていなかった。
「スウェットで良かっただろ」
暖かい車内に、冷気を連れ込んだ。
「だって、夜のドライブでしょう?デートじゃない」
ハンドルを握り横を見ると窓の外を見るアイツが一言だけ口にして無言が流れた。
宛も無くただ車を走らせた。行き先や用件、何も言わず何も決めずにただひたすらに進むだけ。
「何か飲むか?」
一時間程してそう声を掛けると、静かに頷いた。
自販機の前に停り小銭を探していると、するりとアイツも降りてきた。
「寒いだろ、中にいろよ」
「一人は怖い」
ニットのワンピースに合わせた黒いブーツの爪先を見つめて、アイツが笑う。そうか、と零してささやかな温もりを手渡した。
「海、行くか」
思い付きに近かった。白い息を吐き出して言えば、また黙って頷いた。
広く黒い海に、要らぬもの全て沈めてしまえれば、そう思って俺は車を走らせる。
冬の夜。鼻をくすぐる潮風が、機械塗れの温風を吹き飛ばした。
「先生、海行こうって言ったの後悔してるでしょ」
三歩先を歩くアイツをゆるりと追い掛けているとふと、振り返りそう零した。
潮風が、睫毛を押さえる。伏し目がちに笑って首を振った。
「いや、そんなことは無い」
捕縛布に顔を埋めていると、小走りにこちらへ戻ってきたアイツが俺の手を握る。
「最初で最後のデートだね」
見たかった笑顔に、悲しい言葉を添えられた。
ただ眉を顰めて口を閉じていると、指が絡まった。
「だから、手くらい…繋いでも良いよね。誰も見てないでしょ」
波打ち際へ引き寄せられざくり、ざくりと足跡を残すだけ。
押して、引いて、また押して。波の動きを目で追って言葉を待った。