第8章 WHO
下着を履き、上着を羽織り立ち上がった先生が向かうのはベランダ。
そして拾い上げるのは煙草とライター。
「服着ろ馬鹿」
「寒っ…」
まるで磁石の様に引き寄せられてしまうのだ、仕方ない。
上着を引っ掴んでベランダに戻る。
先生の左側に立ち空を見る。月は雲に隠れてすごく暗い。
右手で持った煙草の煙が雲になる。
そうして私から先生を隠してしまう。
「先生、もう今日出ない?」
「歳だからな」
目を見開き、嘘っぽい笑い顔で言う先生も好きだ。
「まいか、もう先生って呼ぶなよ」
「…なんで」
先生は、先生で、私の先生。
ずっと変わらない筈なのに。
「もうお前は生徒じゃないだろ」
「じゃあなんて呼べばいい?イレイザーヘッド?相澤さん?消太?先生は先生だよ」
肺いっぱいに煙を吸い込みながら私を見ている眼差しも好き。
「……今日のお前、なんか可愛いな」
ぷかぷかと雲を吐いて、先生が言った。
「それは誰の言葉?イレイザーヘッド?相澤さん?先生?」
「さぁ?」
紫の雲が私の鼻を掠って通り過ぎた。
目に染みて目が熱くなって、鼻がツンとした。
「手、貸して」
左手を奪って頭に乗せる。不意に私の意志とは別に頭皮を撫でられて肩を竦めた。
「先生が好きだった」
「過去形か、先生悲しいな」
茶化すようにケタケタと笑う顔だって、学校じゃ見せてくれなかった。
きっと同期の、いや今までの教え子の中で私だけ。色んな先生の顔を知っているのは私だけ。
「卒業して、こうやって会って、幸せ」
控えめに肩に頭を寄せて先生の左手に意識を集中させる。
「付き合いたいとか、どうかなりたいとかよく分かんない」
纏まっていたと思っていた先生への想いは案外纏まっていない。
ぽろぽろと下手くそな食事の様に言葉を零して呑み込んで。
「先生を縛れるような女じゃないのも分かってる」
今日は珍しく、先生が話を聞いてくれている。
いつもなら長いと言って部屋に戻るのに。
ちらりと見た右手の煙草は既に灰になっていた。