第8章 WHO
「こんな時、あの頃の勢いがあったらなって思うの」
緩く私の髪を撫でていた手が止まったのは言葉より先かもしれない。
「そしたら、先生好き、付き合って!って泣き喚いてた」
「迷惑極まりないな」
そう言って私の顎先を掴んで、視界が先生で一杯になった。
「俺は合理性に欠く事は好まない。それなのにまいかをこうして家に招いてる」
いつの間にか新たに灯った煙草の火。
右手を柵に掛け、意地悪に笑う顔。
「ダラダラ話すのも好まない。時間は有限、俺はさっき言ったぞ、先生って呼ぶな」
煙草を持った右手が先生の右頬を少しだけ持ち上げるから、更に意地悪な笑顔に見える。
私の学生時代の記憶にある先生の目の下には傷なんて無かった。
その傷が出来た時、私はもう社会に出ていた。
傷を知る前、私は先生への想いに疑問を抱いていた筈。
爛れて決して褒められるような関係じゃなくて、もし誰かに知られたら、先生に迷惑がかかると。こんな関係、いい筈がない。
それでも、報せを聞いて一晩中泣き続けた様な気がする。
「先生の傷、嫌いじゃない」
「なんだそれ」
「私の気持ちを教えてくれた」
そっと傷を指で撫でると、目を細めた。
その小さな仕草も、私を痺れさせる。
「もう少しこのままでいいですか」
まだ、私はこのまま。もう少しだけ。
麻薬の様な先生を手放したくない。
「もう少しだけ、先生って呼ばせて」
顔にかけられた雲が煙たくて、噎せて、目が痛い。
「お好きに…」
煙のようにふわふわした気持ちで、まだ先生と居たい。
爛れて、爛れて、そしたら、剥ける。
それまで、待って。
「先生、顔に煙吹き掛けるのって、夜のお誘いなんですよ…。仕方ないから続きを…」
「…………すまん…、すまん」