第17章 the world
「お風呂、ありがとうございました」
浴室から出ると湿ったスーツが居なくなっていて、代わりに浴衣が置かれていた。
戸惑いながら袖を通して、階段を上がり言われた通りに奥の部屋に歩を進める。
扉の前で一言掛けると中から声がした。
「どうぞ」
ごくりと喉を鳴らして深呼吸。腹を括りそっと扉を開けると鏡台を覗き込む背中が見える。
「スーツ、すいません」
「ええんよ、馴染みのクリーニング屋さんにお願いしたから朝までには間に合うわ」
部屋のど真ん中には布団が敷かれている。
僕はそこまで望んでいないのに、と心臓の音が早くなる。
「安心しいな。私、お兄さんと寝る気無いよ」
手にしていたタオルを握る指から力が抜けた。
そして、きっと間抜けな声が口から漏れたに違いない。
「へ、あ、いや…はい」
「まぁ、三回会いに来てくれやな寝れへんし堪忍な」
長く伸びた何色とも形容し難い髪を丁寧に梳く姿にまた目を奪われる。
時計を見上げればもう朝の五時。
今日の仕事は八時から。時間なんて長くはない。
「あの、聞きたいことが沢山あります」
斜め後ろ辺りに腰を下ろして問いかければ、櫛を鏡台に置き振り向いた。
艶やかで、生気は確かにあるのに何故だろう、彼女の全てが鈍色に見えて仕方ない。
「私が答えられる事やろか」
「…そうですね、はい」
人生には踏み入れるべきでない物はあちこちにある。
きっと今から踏み入れようとする事はそれに当て嵌る。
だけどもう、片足踏み入れてるんだからどうしようもないんだ。