第17章 the world
「ええやないの。ヒーローは私らなんて見えへんみたいに振る舞うんやで?それやのに、このお兄さんは来てくれた。立派やないの」
「だからって仕来りを曲げちゃならない」
僕との押し問答に飽きたのか、今度は彼女と押し問答。
「お兄さん、私明け方…そやなぁ、四時くらいやろか、ここ戻るからな。そっからでええんやったら裏返す言うことでどやろ」
何が何だか全く分からない。だけど唯一分かるのは朝の四時に彼女と会える。それだけ。
「待てますよ。僕は意外と辛抱強いんです」
貼り付けた笑顔の下から弛んだ笑顔が見えそうになって必死に堪えてそう言うと、彼女はまたけらけらと笑う。
「ええ男は辛抱強ぉないとあかんよ」
ガヤガヤと騒がしい花街の店先。僕は遊郭の中にあげて貰うことも叶わず、僕よりも年下に見える少女を連れ出掛ける彼女を静かに見送った。
「お兄さん、ほな」
軽い会釈を僕に残して、彼女は行った。
空を見上げれば月は留守。雲が僕を見守る中、静かに通りを眺める。
「ファントムシーフ、ですよね」
どれほど経ったか。もう数時間?いや、まだ数分?
声を掛けられ顔を上げるとそこには遊郭の者と思われる男が立っていた。
「あぁ、はい。そうです」
声に答えれば、男が言いにくそうに僕の肩に顔を寄せた。
「あの、まいか太夫待っても無駄だと思いますよ…。今日訪ねて行った旦那は大企業の…」
「鉄道会社のお偉いさんなんですよね。いやぁ、凄いなぁ」
そこまで言って、空から雫が零れてくる。
肩に着地した其れを手で払い除け、僕は笑った。
「無駄かどうかは、僕が決めますよ」
男は店に引っ込み、古びた傘を僕に差し出した。
眉を下げ、こう言い残して置いていく。
「大きな声じゃ言えませんが、まいか太夫はあんまり乗り気じゃない気がするんです。ファントムシーフに言ってもなんですが…」
多くは語らず、ただ察してくれと言わんばかりに。
また一人になった店先。露先をじっと見つめて自分の預金通帳を頭に浮かべて溜息をつく。