第7章 ふたつ 彌額爾(ミカエル)の語り ー人の望みの歓びよー
僕は飛ぶ。天に近しく、地に近しく。
空へ還るとき、地に注ぐとき、僕は確かに飛んでいる。遍くある神のお膝元を行き来する。
皆は嗤うけれど、本当にそうなんだ。
いや、皆飛んでいるのに、何故それに気付かないんだろう。
天地を行き来出来ない人より、僕らはずっと神に近い筈なのに。
僕は雨垂れだ。天に昇り、地に落ちる。
巡る輪廻の輪のように理の轍を辿る至極当たり前の営みに、僕は果てしない自由と、そこに広がりや豊かさをもたらす縛りを見る。
祈りの果て。望みの終。それは僕にとっては海の深みだ。雨垂れが夢見るのは大体がふたつ。
天に上り詰めるか海に潜るか。
僕は海に還りたい。
海の深みに神はおわすのだろうか。その御心はそこにあらせ給うのだろうか。
海の底で飛ぶ事を止めた僕は、天地を行き来する今より神に近しくなれるのだろうか。
神って、何だろう。
美しい。
違う?
尊く、美しい。
圧倒的に美しいんじゃないかと、僕は予想してるんだけど。
色んなものを凌駕して、ただ圧倒的に美しいんじゃないかと。
人間の歓びが神に捧げた祈りに依るものならば、神は美しいに違いないと思うんだ。そうでなければ何故人は祈るのか、わからないじゃないか。彼らは叶わない事まで享受して、尚祈りに歓びを見出して生きて行く。
報われなくてもただ何かを信じ続けるなんて、僕にしてみれば正気の沙汰じゃない。
だからきっと、神は美しいんだろう。
尊さは美しさだ。皮肉の美醜はそこに関わりない。全てを凌駕する畏れと喜びの源は震えるような美しさを感じさせるに違いない。
僕はそれを確かめたい。
雨垂れの祈りにも神の恵みは能わるのか。それを見たとき、僕はやっぱり美しいと思うのか。
祈りって何だろう。
恵みって何だ?
美しさは、…そして歓びは、何に宿る?
その全てが帰結する存在が神なら壮絶だ。
そんな神の目にひと垂れの雨垂れは映るものなのかな。
知りたい。
そう。僕は知りたがり屋なんだ。