第5章 雨垂れの語り 序
初めて見たのは青い空。
いや、見たかと思ったら我が身一杯に映っていた。
次に映ったのは色の変わった空に浮かぶ月。丸くて明るくて、美しい月。
身内がこそばくて震えたらば、どうやら深く寝付いたおたがじゃくしが、寝惚けて身じろぎしたらしかった。
風が吹いてふるふると肌が波を立てる。
草木がさらさらと鳴るのが聞こえた。
ぽち、ぽちと雫が落ちてきて身に混ざり込む。気が付くと月は厚い雲に隠れて、そうと思った途端、ドザと空からぶちまける様な雨が注いで来た。
私は水溜まり。
その年の水の塩梅を加減する梅雨という気紛れな時節に依って生まれた、他愛ない水溜まり。
雨水を享受し、陽射しに甘んじ、風に吹かれて何れ消え失せる仮初めのぬかるみ。
晴れた日が好きだ。
青い空が映り込むと、我が身まで青々と染まって胸が広がる。我に空が映っているのか、空に我が映っているのか、一心に見上げているうちにわからなくなるような、何処までも拡がる縛り無さが好きだ。
風の日が好きだ。
この身を震わせて駆け抜けて行くその先が見当もつかない自由さ、奔放さ。攫って行ってくれないかといつも思う。吹きゆく先に何があるのだろう。胸のザワつく勢いに焦がれる。
雨の日が好きだ。
快く注ぎ込む温い水、冷たい水、何れも水冠を描いて出自を打ち明けながら我が身に混ざり込んで来る。
吾、飛騨は高山の頂の樺の葉に生じし朝露の天に昇りてまた下りし者なり。飛騨の樺と申す。よろしゅう。
神田ァ須田のちっせぇ裏木戸ンぬかるみから屋移りさせて貰った吉太郎てェケチな雨垂れよ。短気者のこったからさして世話ァかける前に失せるたァ思うがよ、袖擦り合うも多生の縁ってヤツだ。まァよろしく頼まァ。吉って呼んどくれィ。
朱印船に呑み水として積まれ来申しましたる彌額爾(ミカエル)と申しますれば。
聖母教会の聖水であり申した身ながら故あって來因(ライン)なる大河に身を任せておりましたものが、和蘭(オランダ)は鹿特担(ロッテルダム)なる都市にて汲み上げられて一時人家に滞留した後清へ渡り、人口に吸わるるを免れてここに辿り着き申した由。大海へ交わりたしと願い続けてまたも陸に在るこの始末。残念至極。
イランカラプテ。(初めまして)
様々なコタン(村)を巡って来たが、内地は初めてだ。
コルハム(蕗の葉)という。
元はヌプリ(山)のウララ(霧)だ。