第1章 楽天地
姫はぺたりと座り込んだまま、ぽたりぽたりと涙を落としています。
「こうして歩き続けたところで宛ひとつないのだから、いっそ私はここで儚くなってしまいたい」
遠くまた近く、姫を捜し回る大男達の胴間声が恐ろしげに聞こえているというのに、もう動けない、死にたいと言うのですから、憲兵も黙って覚悟を決めました。
自分のこの身体では、動こうとしない姫を守りきる事はもう出来ないだろう。
思いながら見下ろす薄衣越しの柔肌のそこかこには、裏腹に美しい痣の花が咲いています。鮮やかに、まるで非力な憲兵を嘲笑うかのように。
憲兵は腰の刀をひと思いに抜き放ちました。
姫はそんな憲兵に安心したような表情を浮かべ、不意に頭をもたげて月空を見上げました。
「今度生まれて来るときは、水辺の花になりましょう。何の翳りのない楽天地で、父上と母上と、一つ木の一つ房の花に寄り添いあって、他愛もなくありたい」
祈る様に呟くと目を伏せます。
それが合図でした。
憲兵は細い腕に精一杯の力を込めて、姫の細い首に刀を振り下ろしました。
「ー···」
姫の首は呆気なく胴体から離れて、ぽとりと砂の上に転がりました。紅い血が砂の上に広がって、ああまるで、姫の嫋やかな白い体躯は血と痣の花を残して、砂漠に溶けてしまったように見えるのです。ただその端正な顔だけが、紅い血の真ん中で雌しべのように美しいのでした。
憲兵はしみじみとその顔に見入った後、刀の血をぼろぼろの袖で拭い取りました。そして今度はその切っ先を我の喉笛に突き立てたのです。
白い月が、ますます斜に傾いで砂丘の裏を照らしています。
憲兵は喉からくぐもった溜め息を漏らして、ガックリと膝を着きました。
どうして俺のこの身体は、皮が破れ、骨が折れたくらいで歩く事もままならなくなる程脆いのだ。いっそ俺は魔物ならば良かった。例い醜い魔物になってでも、姫を守って差し上げたかった。
見上げれば月は東の空で鏡のように真白く、また真ん丸く輝いています。憲兵は急に冷たくなった身体を抱えて、砂の上にどうと倒れ込みました。
こんな事を思うのは、月や砂があんまり白くて、また体中の何処の何かもわからぬ程に傷が痛むからだ。何もかも、何にもわからなくなる程、真っ白く苦痛だからだ。
そうしてぼんやり辺りを眺めていると、天と地が本当に混ざり始めているように見えました。