第3章 仰げば尊し
出したばかりでまだ用がない筈のストーブの上で、お湯がシュンシュン湧いている。
部屋は薄ぼんやりと温かい湿気を纏って、何だか玉子の内側に籠もってるみたいな気になる。
霞んだ目で見る枕辺の吸い飲みが、綺麗だけど食えない水色の木の実みたいだ。
「敏。ご飯食べられそう?」
襖戸がスラッと開いて姉ちゃんが顔を出した。
「···食べる」
掠れ声で答えたら、だろうねと笑った顔が引っ込んだ。
台所から母ちゃんと姉ちゃんの笑い声。
玄関の引き戸がガラガラ鳴って、父ちゃんのただいまが聞こえてきた。
ばあちゃんが観てるテレビの音がうるさい。今トイレに入ったのはじいちゃんだな?
肉や野菜の煮える甘じょっぱい匂いがする。
何だよ、人が熱出した日に限ってすき焼きなんかすんなよ。
口の中が熱くて気持ち悪い。
けど、飯は食いたいんだよな。腹減った。
あー、今日はレギュラー発表の日だったのに。オレ、試合出れっかなぁ。出てェなぁ。最後の試合だもんな···
「おい敏!お粥は卵と梅干しどっちだ?」
父ちゃんがビールのコップ片手に部屋に入って来た。
いやだから、酒くせェから。止めて。オレ病人だぞ、マジインフルだし。
「変な時期にインフルなんかにかかって、変わったヤツだなぁ、お前は!」
しょうがないだろ、なっちゃったモンは。文句言うならこんな時期に出やがったインフルにしろよ。オレはかかっちゃっただけだかんな。ちくしょ···
「···大根下ろしと鰹出汁···」
「お、技入りのリクエストだな!」
「練り梅のっけて」
「メンドくせェ事言うなあ!」
「···父ちゃんちょっと声デカい。···これから皆してすき焼きなんだろ···?ちょっとくらいワガママ言ったっていいじゃん」
「居間まで来れたらすき焼き食っていいぞ?」
「···うつすぞ、父ちゃん」