第11章 斎児ーいわいこー
気を遣っているのか。そんなつもりはない。
いや。遣っているのだろうか。ああ、遣っているな。
でもこの気遣いは反って節さんを傷付ける気遣いなのだろう。
「みっともないところをおみせしました」
余計な気遣いをしたことに対してか、一頻り怪しげな振る舞いをした挙句よろめいて支えて貰ったことに対してか、自分でもはっきりわからないままそう言うと、節さんはうんともすんとも答えずに黙って一歩下がった。少し間をおいて息を呑むような仕草を見せると、気まずさを払うように朗らかに口を開く。
「お勤めでいらしたのですか」
「はい。掃除に参りました」
「ご苦労様です」
「貴女こそ朝からの墓参ご足労様です。御霊も喜んでおられましょう」
無縫塔を見、視線を移すと、節さんは首を振った。
「いいえ。慰めに参ったのではありません。ですから喜びはしないでしょう」
思いがけないことを言われて、私は口を噤んだ。御霊を慰める気がないのならば、何の為の墓参なのだ。何をあんなに熱心に祈っていた?
私の内心を見透かしたように、節さんはまた首を振った。
「お坊様にこう言っては何でしょうが、私は亡くなられた方が必ずしも忌意を求めるものとは思っておりません。有難いものとも思っておりません」
それはわかる。
好き好んで死んだ訳ではないのだから、悼まれるより愚痴の一つも聞いて欲しいというのが本音だという仏の方が多いし、考えてみればその方が自然で分かり易い。何しろ死んでいようが生きていようが元は同じ人間なのだから、死んだ途端に折り目正しく悟ったりしないのだ。
有難いものと思わない気持ちもわかる。本当に節さんが私と同じように見えざるものを見、聞かざるものを聞く人であれば尚更無理もない。あれらは意外に自分勝手で人の都合や事情を考えない。時と場合だって弁えない。好き勝手に迷惑をかけて、好き勝手に頼みごとをしてきたり愚痴をこぼしたり、思い通りにいかないと逆恨みしてくるものまでいる。元から恨みつらみを抱いて死んだものなど言わずもがな。
けれど、節さんが手を合わせていたのは無縫塔、ここに勤め、ここで亡くなった僧都が眠る墓所だ。何故そこを拝みながらわざわざこんなことを言うのだろう。
私としても頭を丸めている立場上、ああ全くそうですね、よくわかりますとは言い辛い。