第10章 丘を越えて行こうよ
「うるさい!」
どいつもこいつも何の話だ。
堪り兼ねた一也が怒鳴り声を上げた。
「俺が好きなのはしぃちゃんだ!ずっとずっとしぃちゃんだけ!他の女の人なんかどうだっていいんだ!しぃちゃんが帰って来てくれて、正直今加奈ちゃんどころじゃないんだよ俺は!」
加美山がポカンと口を開けて、美佳子が手を打って、ヤッタ、言った!と、何故かはしゃぎ、敏樹がネイガーのマスクをとって、何だか嬉しそうに一也を見た。恋人をとられなくてすむ、みたいな、そういう嬉しさじゃない、率直でくすぐったそうな嬉しさが、作りが大きくて整った敏樹の顔に浮かんでいる。
そんな敏樹の顔を見たら、いっきに一也の気が抜けた。気恥ずかしさに耳がカッと熱を持つ。
「……あー…あの…今のは……ちょっと、勢いで……。だから、聞かなかったことに……」
「なんねぇよ」
「ならないわね」
「ならないなぁ」
目の前の三人が三人ともしたり顔で首を振るので、一也は焦った。何てコトだ。選りに選ってコイツらにこんな形で知られてしまうなんて……。これじゃ明日から毎日が針の筵だ。
クスクス。
不意に子供の笑い声がした。
「え?」
丁度一也の胸下辺り、ごくごく身近なところから、ヒソヒソ話の途中で漏れてしまったような、楽しげで可愛い笑い声がする。
聞き覚えのあるこの声音は、前に夜道で詩音と聞いた声だけれど、それだけじゃない。もっと深く、もっと長く、懐かしく体の何処かに今も染み付いている声。
「は?…あ…」
一也は目を見開いて、笑い声の主を、主たちを見た。
小さい詩音と小さい一也。手を繋いで一也を見上げている。
見覚えのある紅い金魚の浴衣と碧い竹笹の浴衣。
長さが足りなくて、二人ともちょっと脛が見えている。小三の夏、この浴衣を着た最後の年の二人だ。
丁度三望苑の展望台が、子供の出入り禁止になった頃。詩音がどうしても行きたいと泣いてごねたから、よく覚えている。二人で家族からはぐれて怒られた夏のハイキング。
「……何で…」
熱中症で幻覚を見てる?
目を擦って見直すと、半分透けた体の向こう側に祭りの景色を映した二人がステージを指差した。
「……え?あッ」
「ヤバい!」
ステージに目を振り向けかけた一也の横を、敏樹が凄い勢いで駆け抜けた。