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第8章  はんぶん コルハムの語り ーセタとマッカチー



私はコルハム(蕗の葉の意)。ウララ(山)のヌプリ(霧)から産まれた。

朝の霧の粒がコル(蕗)のハム(葉)に凝って溜まって私になり、昼地に滴り、日暮れてクッチプンカル(猿梨)の蔓に吸われた。
産まれたばかりの私は薄翠色の葉脈を駆け、万に一つもこの身を取り込まれぬようひたすらに動き続けた。
我ながら滑稽なくらい、一生懸命。
そうして必死で逃げ回りはしたが改めて考えてみると、取り込まれたところで大した事はなかったのかも知れない。
そうした同胞は幾粒もあり、彼らは満更でもなさ気に翠壁に吸い尽くされ、やがて山に還って行く。それはアフンルパロ(あの世の入り口)で、いずれ枯れ果てる植生と共にカムイ(神)に迎え入れられるだろう事を思えばまずまずの結末と言っていい。

けれど私はそうしたいとは望まなかった。

何も聞かず、何も見ず、何も感じず万物に呑み込まれ、無に等しく同化されるなんて真っ平だ。

霧の心地好い湿り気、雨の胸すく涼やかさ、せせらぎの音のくすぐったさ、杉や楓、樺から滴る甘い滴の賑やかさ。

私は雨垂れだが、こんなにも生きている。

息吹はない。
営みもない。

だが雨垂れコルハムは生きている。

そこに意味は要らない。意義も要らない。唯がむしゃらに在るだけだ。
それでいい。それがいい。
森羅万象、全てを感じたい。そう思って来た。

自由気儘、在るが儘、好きに駆け、好きに降り、好きに上る身の弾けるような充足感。山に在ればそれが出来る。私はその則を知っている。

けれどそんな私が、ある時からひとつの物語に取り憑かれてしまった。

今はその顛末を見届ける為にコタン(村)にまで降り、挙げ句内地に降り落ちて天地を行き来している。

不自由だ。しかしそのせいで生きる事に意味や意義が出来たかも知れない。

上り、降り、流れ、蟠る。山に河に野に人里に。

一度見失った物語にまた巡り会う為に。











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