第8章 麗しのハンナ/ハイキュー、天童覚
「凄い偶然、て訳じゃないわよね?見送りに来てくれたんでしょう?」
「うん。そうなんだ。見送りに来ました」
頷いたら、桜庭さんは花が咲いたように大きく笑った。
「ありがとう。嬉しいわね」
何て可愛いんだろ。
伸ばした腕の先、繋いだ両手があったかい。タクシーで嫌な顔された雨に濡れた体が上気して、湯気が立ちそうな気がした。
「あなたとは色々話したいことがあるような気がするけど」
桜庭さんが腕を曲げて俺を引っ張り寄せた。
「うん。ボクもあなたと話したいことがいっぱいある」
目線に合わせて膝を曲げたら苦くて甘い桜庭さんの匂いがした。引き寄せられるように一歩踏み出したら、桜庭さんは首を振って笑った。気のせいじゃなければ、自惚れじゃなければ、ちょっと残念そうに。
「残念。もう時間がないわね」
間近に桜庭さんの顔を見ながら、俺の心がまた汗ばみそうになる。駄目だめダメ。ここ笑うとこ。汗ばむとこじゃない。
「本当にありがとう。バレー頑張って。牛島くんや大平くんによろしく」
桜庭さんの指が解けて離れかけた。それをぎゅっと引き戻して、上に覆い被さるように桜庭さんを見下ろす。見上げる桜庭さんと、額と額が触れそうに近い。甘い匂い。苦い匂い。アッシュブラウンの髪、色素の薄い素っ気なくて綺麗な桜庭さんの顔。心臓がばくばくして破裂しそうだ。
「桜庭さん」
「うん」
「……元気でね」
「うん」
「寂しくなったら俺を思い出して」
「ふふ。わかった。いいわね。あなたを思い出したら寂しくなくなりそうだわ」
「そう。寂しくなくなるヨ」
だって俺は願ってる。どこへ行っても何があっても、あなたが元気であなたらしくいられますようにって。
喉に込み上げて来たものがつかえて言葉が出て来ない。
搭乗案内のアナウンスが流れた。本当にもう時間だ。
「ありがとう。天童くん」
桜庭さんは俺の手から自分の手を抜いて、にっこりした。また花が咲く。
「桜庭さん!」
手荷物を持って歩き出した桜庭さんを呼び止める。
待って待って。俺、これを言いに来たんだヨ。どうしても言いたいの。あなたに知っていて欲しいンだ。
「ich liebe dich.(あなたが好きだヨ)」
驚いて振り向いた桜庭さんは、面白そうな顔をした。
「割れ物よ!落とさないでね!」