第8章 麗しのハンナ/ハイキュー、天童覚
「昨日は風邪で難儀したらしいな」
「あー…、そうだったみたいネ」
「やっぱり仮病か」
「仮病じゃないヨ。キツいモン、今も」
調子悪くなるのは体だけじゃないんだネ。全然知らなかった。心が風邪を引くとかサ、何言っちゃってんのとか思ってたけど、アレ、言葉だけのことじゃなくてホントの話なんだネ。キツいわ。
「桜庭さんがドイツ行きを止める……」
「ぅええ!?」
ガバッと起き上がった俺を、若利クンが冷静な目で見下ろす。
「なんてことはないんだから、さっさと立ち直れ。立ち直る以外今のお前に何が出来る?」
…うわぁ…。若利クンてば、ヒッドイなー。
そんなのわかってんだよ。わかってるからキツいんだ。昨日一緒にご飯食べて笑って話して、手が届きそうな気がした。いや、手は届くかも知れない。距離さえ開かなければ。伸ばして届く場所に居てくれれば、あの人の手をとれるかも知れない。
バカだ。
こんなこと考えても仕方ない。
俺は独りでドイツに行っちゃうような、絵付け職人を目指すために海を渡っちゃうような、そんな桜庭さんが好きなんだから。
荒れた手の。
掠れた笑顔の。
癖のある歩き方をする、自分の生き方を自分で決めて、さっさと行ってしまうあの人が好きなんだから。
だから、一緒にご飯を食べたりしなきゃ良かったなんて思わない。知った分だけキツさが増しても、美味しいもの食べて、楽しく笑って、あの人の家族のことや名前の由来を聞いたこと、抱き締めたいと思ったことをなかったことにしようとは思えない。
キツい思いだけ残って、もう会えなくなったとしても。
「てっきり今日も休みかと思ったが」
牛乳のパックにストローをさして、若利クンが毛筋程も表情を変えずに言う。
「意外に軽かったようだな。そのくらいならどうということもない。すぐ全快するだろう」
軽い?
そんなコトない。
立ち上がった俺に若利クンが目を向ける。諭すでも促すでも背中を押すでもない、ただいつも通り真っ直ぐな目だ。
「若利クン」
「何だ?」
「俺、早退するから」
「風邪か?」
「そう。重症みたいヨ」
「重症か。そうか。わかった。担任に伝えておく」
「よろしく」