第1章 その女
「面白いですねえ、牡蠣殻さん。あなた、どうやら人を怒らせるのが得意のようだ。得心しましたよ」
「そうですか。それは良かった。ではこれで」
鬼鮫の言葉を受けた牡蠣殻が、引き戸に手をかけて顔を引っ込みかけた。鬼鮫はすかさず鮫肌を牡蠣殻の目の前の床にどんと突いて、それを止める。
「まだ話は終わってないですよ」
「え?それは失礼しました。得心なされたとおっしゃるので、納得していただけたのかと
ばかり・・・」
「そうですか。誤解を招く物言いをしてまったようですね。しかし腹の立つ人だ、あなたは」
「・・・もしかして私が覚えていないだけで、知己の方ですか?」
「違いますねえ、幸い」
「ですよねえ。忘れようにも忘れられないタイプですものねえ・・・」
「どういう意味ですかね、それは」
「いや、大きい方だな、と・・・」
「大きいのが何か?」
「いえいえ、いいですね、大きくて」
「・・・大きいのがいいんですか」
「いえいえ、そんな銭湯の煙突みたいに極端
に大きくちゃ変ですがね、まあ、ほどほどに
大きいのはいい事でしょう」
「銭湯の煙突ですか、私は」
「そんなとんでもない」
「ではこの身丈はほどほどという事ですか」
「まさか!凄く大きいですよ?」
「・・・・・・・」
「あれ?何かおかしな事言ってますね、私?」
馬鹿馬鹿しいやり取りのうちに、 苛立ちと
同じくらい大きな脱力が鬼鮫の気勢を削ぎ始
めていた。楽しくなってきたと言っても過言ではない。
「・・・あなた、面白い人ですねえ・・・」
「・・・そんな事わざわざ初対面の相手に言ってくる干柿さんも、十分面白いですよ」
「・・・・・・」
「・・・あの、まだ長くなるようでしたら部屋
に・・・」
「上がりませんよ」
「・・・私が干柿さんの部屋に・・・」
「上げませんよ」
「何なら表に・・・」
「出ません。あなた馬鹿でしょう?」
「ちょ、凄い事言ってきますね。確認してお
きますがね、初対面ですよ、干柿さんと私は」
「幸いそうですね」
牡蠣殻はつくづくと鬼鮫を眺めて眉根を寄せた。
「・・・失礼ですけど、何しに来たんでしょう
か、干柿さん?」
「そうですねえ・・・宿にいる間は極力顔をあわせないようにしましょう」
「そりゃ望むところですが、何なんです、一
体?」
鬼鮫は鮫肌を担ぎ上げると、真顔で牡蠣殻を見返した。
「私にもわかりません」