第3章 恩師
「いえ、恩師で恩人なのです・・・干柿さん、お気持ちは嬉しいのですが、抱えられると反って・・・うぇ・・」
「黙りなさい。あなたは喋りすぎる。ここで吐きたいんですか?言っておきますが、私は片付けますよ、あなたが吐き出したものを。更に後々までその事をネチネチ言い続けますが、よろしいですか?」
牡蠣殻はピタリと口を噤んだ。大股でたどり着いた厠の前で下ろしてやると、失礼と呟いて速やかに中へ消える。
"・・・丁寧というか、矢張り口がへらないと言うか、面白いですねぇ・・・"
それを見送って、鬼鮫は呆れるやら感心するやら、腕を組んで壁に寄りかかった。
"恩師に恩人と言っていましたが、あの様子じゃろくな用で来たんじゃありませんね・・・"
立ち上がりもせずに冷たい顔をしていた男を思い浮かべ、顔をしかめる。
「あんな男に恩を売られて、よくまあああも面白おかしく育ったものですよ・・・」
牡蠣殻がゆらゆらと戻って来た。
鬼鮫は体を起こしてその顔を覗き込み、
「あれだけ呑んでも平然としていたのに、食べ過ぎるとこうですか。厄介な」
と、口角を上げた。
「これでは貧相にもなる訳ですよ。困った人だ」
「いつもこうなる訳ではありません。とはいえ、ご迷惑をおかけしました。何と言われても一言もございません・・・お目汚し失礼しました。・・・申し訳ありません。ありがとうございます」
まだ腹を押さえながら、牡蠣殻は息を吐いた。
「我ながら情けない・・・」
「まあ頼もしいとも立派だったとも言えませんね、確かに。自己管理は大人の嗜みですよ。あなた、それが苦手そうだ」
見ていてどうにも危なっかしい。
「何だってこんなになるまで食べたんです」
「食べないと丈夫になりません」
棒読み。
「丈夫にならないと、普通になれません」
「・・・あなたかなり変ですよ?頭に何か埋まってるんじゃないですか?」
「・・・じ、実は厠の中で灰色のちっさい宇宙人が・・・うぅ・・」
「・・・牡蠣殻さん、あなたねえ・・・」
言いかけて、鬼鮫はハッと牡蠣殻を小脇に抱えて横に飛んだ。
それを追うように、小さな吹き矢が数本、乾いた音を立てて壁に突き刺さる。
間髪入れず姿勢を建て直し、牡蠣殻を小脇に鬼鮫は走り出した。